投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月10日(土)13時37分1秒   通報 編集済

話を大聖人に戻します。

日蓮大聖人が「仏敵」――つまり、謗法の諸宗を責めたのは、邪法を正法へと変化させ、
「一切は平等である」という法華経思想の下に蘇生させるためで、いわゆる善悪二元論的な法敵の壊滅が目的ではありませんでした。

だからこそ、大聖人の生涯にわたる思想闘争は、完全に「非暴力」を貫いているわけです。

現象(諸法)世界の一切に、究極の真理(実相)の輝きを認め、それを自在の智慧で生かそうとする
釈尊の「法華経」は、日蓮大聖人によって、再び、民衆に「活用の仏法」として蘇ったのです。

大聖人は、末法に生きる民衆を教化し、蘇生させていく方法は「摂受と折伏」と説きました。

「折伏」が相手の誤りを責めて伏せさせるのに対し、
「摂受」は相手の主張を寛大に認めて包容する、という教化方法です。

大聖人は
「正しい真理(正法)に無知な人々には、穏和な摂受の方法をとるべきだが、
正法を非難する『謗法』の者に対しては負けずに論破し、折伏しなければならない。(取意)」(p235)

と開目抄のなかで述べています。

しかし、同時代の念仏宗、真言宗、律宗等の教えがことごとく
「法華経」の正法を誹謗しているとして、大聖人は諸宗折伏の論戦に打って出たのです。

一代聖教大意には
「絶待妙の意は、一代聖教は即ち法華経であると開会するのである(通解)」(p404)とあります。

この信念に立てば、大聖人が他宗を激しく批判した真意も明らかになってきます。

大聖人は、なにも他宗の教えを排斥したかったのではなく、
反対に、他宗の教えも含め、あらゆる善論を真に生かそうとしたのです。

ただ、そのためには一切は平等を説く「法華経」を世に立てなければならなかったのです。

しかし、現実を見ると、念仏者の法然は、
「理深解微(教理が深すぎて愚かな衆生には悟れない)」
「千中無一(千人に一人も往生できない)」

と言い、真言師の「弘法」は、法華経の教えを、

「三重の劣(華厳経にも劣る)」と言い、釈尊を「無明の仏」と見下し、あからさまに非難していました。