投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月10日(土)13時36分16秒   通報 編集済

この考え方は、釈尊の説いた「縁起」という法(原理)からきています。

縁起の法を簡潔に説明すると、

「万法は、ことごとく何かの機縁によって生じ、滅している。
そこには、なんらかの関係性があり、それ独自で独立して存在するというものでもなければ、
それ自体で固定的に、不変的に連続していくものもない。
なんらかの『他のもの』に依って存在し、また、なにかの『縁』に依って生じているのである。
だから『他のもの』とか、その『機縁』がなければ、万物の存在はありえない」というのが、関係性の原理です。

さらに、
大乗仏教徒であった竜樹がこの「縁起の法」を哲学的に昇華し、「中論」としてまとめました。

それが竜樹の根本思想である「空観」です。
竜樹もこの「空」の概念を、釈尊の説いた「縁起の法」を裏づけとしました。

竜樹もまた、一切の存在は、それ自体として単独では存在せず、
すべて他との依存性、関係性において成り立っていると考えていました。

そのことを竜樹は、「中論」の第十章「火と薪との考察」で、非常にわかりやすく庶民的な事例で示しています。

結論的にいうと、火も薪も、それだけでは存在しない。
火は、薪がなければ燃えることはできない。
また、薪も火がなければ薪とはいえない。単なる木片にすぎない。
つまり、火というものが有るのではない。また、薪というものが単独で有るのでもない。

しかし、では火とか薪というのは、まったく存在しないのかというと、無いのでもない。
火は薪に依って在り、薪は火によって燃えることができる。

このように、一切のものは他との依存性によって在り、縁によって起こるものであるというのが、「空」というあり方です。

それは有るのでもなく、無いのでもない、存在の真のあり方を示した哲理なのです。

竜樹は
「縁起であるものを、すべてわれわれは即ち空であると説く。
その空は相対的な仮説である。これが実に中道である」と説いています。