投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月10日(土)09時43分43秒   通報

なぜ彼らは良観のもとに走ったのでしょうか。

それは、良観の真言律宗は念仏を否定しません。
律をたもち、真言を受け入れれば、そのまま念仏行が認められます。

実際、良観も念仏を興行していました。実は、真言の巧妙さはここにあるのです。

真言さえ認めれば、それぞれの信仰を認めるという発想は、自由なようでいて、いずれは、
多信仰、雑信仰に落ちていき、やがては宗教の根幹にある志ざしをも腐っていくと思います。

幕府要人が立正安国論を黙殺したのは、もしかしたら、当時の幕府が大仏殿建設などの巨大な
宗教事業を抱えていて、その経済的な利権をめぐる暗躍があったために、正確な判断力が失われていたのかもしれない。

追い詰められていたのは、浄土宗だけではなく、実は、
判断能力を失っていた幕府要人も精神的に追い詰められていたのかもしれません。

そして、彼らもすべてを容認してくれる良観たちのもとに逃げ込んだのではないでしょうか。

だから、大聖人は良観の暗躍に気付き、後に良観批判に的を絞っていったのではないでしょうか。
その結果、大聖人の身に竜口の法難・佐渡流罪という大難が起こってきたのだと考えます。

何でこんな話を長々としたかというと、「仏敵」の本質とその構図を見定めていこうと思ったからです。

そして、大聖人は仏敵との闘争を、どのように捉え、
どういう精神で臨んでいったのかを皆さんと一緒に考えていきたいと思います。

そうすることによって、今回のテーマである《仏敵に供養すると地獄に行くか否か》という答えが、
おのずと浮かび上がってくるのではないかと思います。

では、もう少しお付き合い願います。

・・・・・つづく。(夕方アップ予定)