投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月 7日(水)16時30分15秒   通報

歴史的に見て、古来から「時の流れに逆行」したために、
悲劇ともいえる人々は古今東西、数多くいます。

熱原三烈士は、庶民の代表ともいえる無名の農民でしたが、
強大な権力者の脅しにも屈することなく、大聖人の魂である「南無妙法蓮華経」を守り通し、地獄への道を選んで斬首――。

この時

「相手が悪すぎる、時流が悪い、とりあえず権力者の前では法華経を捨てるといいなさい。
そして、まず命を大事にしなさい」と、甘い指導をしなかった日蓮大聖人――。

その時の詳細が描かれた「聖人御難事」を読むと

「彼等には、ただ一えんにおもい切れ。よからんは不思議、わるからんは一定とをもへ」(p1190)と、

むしろ厳しく覚悟を決めろとの指導です。

この師匠の言葉通り、最後まで実践し抜いた弟子(三烈士)は、今や世界の学会員の「師弟不二の信心」の手本となっています。

また、日蓮仏法の継承者であった時の最高指導者である2人の法主(日蓮正宗)立会いのもと、
神札を一応は受けてはどうか、と問われた牧口・戸田両先生も「断固、拒否」され、両先生は牢獄という「地獄への道」を選びました。

そして創価教育学会は壊滅――。

いってみれば、時の時流にながされず、全宗門人に反抗してでも、日蓮大聖人の魂を守るために、
牧口先生・戸田先生は「命」を差し出したのです。

さらに昭和54年、時の学会執行部は、
「正邪」よりも宗門と学会組織の「秩序」を守るために、池田先生を辞任に追い込みました。

その結果、池田先生は世間からも宗門からも罵詈雑言の嵐――。

しかし、池田先生は、牧口・戸田両先生の意志を継ぎ、次ぎの世代にその「精神」を継承させるために、
悩める民衆を励まし、民衆を目覚めさせ、万人を成仏させるという誓願を貫いていったのです。

まさに、創価三代の会長こそが「時を知れる人」であると思います。