投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2015年10月 7日(水)16時29分28秒   通報

日蓮仏法を世界に広めるにあたり、五つの角度から判断していくという
ことから考えると、五義とは広宣流布の定義といえるかもしれません。

結論からいうと「五義を知る」とは、
師匠(仏法指導者)であるための必須条件といえるのではないでしょうか。

これはある意味で、仏法指導者としての「本物」と「偽者」を見分ける重要な視点であるともいえます。

では「時を知る」とは何でしょうか。

教機時国抄には、正・像・末の三時を示して
「妙法蓮華経、広宣流布の時刻なり。是れ時を知れるなり」(p440)と結論しています。

世の中が濁り、人々が生きる気力を無くしている最悪の状態の今・現在こそが広宣流布の時であると認識することです。

そして、広宣流布を成し遂げようとする情熱と不動の志ざしというものは、
他者が受けている「痛み」に対する同苦と共有から生まれるものだと思います。

末法という時代に、地涌の菩薩が民衆という大地から陸続と立ち上がってくるのは、
自身も悩み、人の痛みに同苦できる機縁が満ちているからだと思う。

もし、他者の痛みに同苦することができないならば、
「苦しんでいる人を救っていこう」などという志ざしも誓願も起こりません。

「時を知る人」とは、同苦の機縁であり、この時に当たって、
悩める人、苦しんでいる人、迫害されている人を、救っていこう、
励ましていこうと志ざし、誓願の決意を起こして立ち上がった人ではないでしょうか。