投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年11月 3日(火)12時03分45秒   通報

御書(P1489)通解
「あなたがたは日蓮ほども仏法を御存知ないうえ、在家の身であり、所領があり、妻子があり、家来があり、どうみても貫き通しがたいことであろう。ただ愚かなふりをしていなさい、と申し上げた通りにしていきなさい。どうして見捨てるようなことがあろう。決して決して疎かにすることはない。」

第六天の魔王の責めは忍び難しであり、大聖人はそのことを熟知されています。悪と対峙し戦った結果、こちらが退転してしまったら元も子もない。真正面から戦ってよいのは、「なにがあっても退転しない」と、覚悟を決めた人間だけである。そしてその覚悟を人に強いることはできず、あくまでも自覚の問題と言えましょう。

悪との戦いの一つの智慧として、「愚かなふりをしろ」と大聖人は御教示されています。組織には魔物が住んでいるが故に、たとえ正論であっても、秩序を乱す者は「魔」と判断され、迫害や追放される。力がなければつぶされておしまいであり、嫌な思いをするだけである。今、学会には、教義変更や安保法制といった、モヤモヤする問題が巻き起こっており、心ある人は苦しんだり、悩んだりしていると思います。なんとかスッキリした気持ちになりたいと幹部に指導を求めても、曖昧な答えばかりでしょう。それだけ複雑な問題だからです。

おかしいものはおかしいと叫んでも、聞く耳をもつほど、慈悲深くはないのが現実です。組織の大きな流れには、誰にも抗うことはできず、組織悪の力というのは甚大です。このような場合は、智慧を働かせ、「組織の方針に従うふりをする」ことも大事です。ただ、心だけは従うことなく、正視眼で物事を観ていくことを忘れないことです。不軽菩薩も、うまく迫害をかわしながら礼拝行を行った。相手や組織よりも、一枚上手の境涯で、不必要な争いにならないようにヒット&アウェイで、距離をとりながら戦うことが、凡夫のスタンダードである。

魔王との戦いは、退転しない覚悟のある人は正面から堂々とやればいいし、智慧を働かせて戦いたい人は、ヒット&アウェイ方式でやればいい。私は、バランスを考慮し、ヒット&アウェイ方式で戦いを起こしています。即ち、組織の抱えている問題点について、知っていながら知らないふりをし、愚かなふりをします。しかし、水面下では、本物の人材を育成するために、御書の講義をしています。本部に魔王降臨していることを前提として、手を打っています。本部が悪である100%の確証があれば、誰でも戦いは起こせるが、そうさせないのも魔の働きです(そもそも100%の確証など存在しない)。

本部が仏敵認定しなければ、戦えないのであれば、仏敵認定する側が仏敵であったとしたら、どうしようもない。正義が悪とされ、悪が正義とされる。これもまた、想定の範囲内であり、魔王のなせる業です。善くも悪くもありえないことが実現するのが仏法の世界ですので、これくらいで驚いてはいけません。しかし、純真な会員は動揺し、「そんなことがあるわけがない」と否定するでしょう。純真は、強さであり、弱さでもあります。魔は、一番弱い部分を狙ってきます。つまり、学会員の「純真」こそが、つけいる隙であり、利用されるところです。悪にたぼらかされたら不幸になる。大悪、小悪入りまじり、小悪を責めた結果、かえって大悪を守ってしまうこともあるので要注意です。

悪に対して傍観するだけの、「本当の愚か者」にだけはなってはいけない。どこまでいっても、仏法は、仏と魔との闘争であり、魔王は常に狙っています。創価学会は今も、とてつもない魔にさらされていることを意識していきたいものです。