投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年11月 2日(月)01時12分42秒   通報

>組織に疑問を持って一番苦しいとき、宿坊と出会い執行部の現状を知り、あまりの腐敗に驚くばかりでしたが。でもこれだから末端の組織迄おかしくなるのは当然だろうな?と納得しました。さて、知った自分はこれからどうする?<

私も自分に一体何ができるのかを自問自答しました。そして、7月19日より開始したのが御書講義です。組織が善からぬ方向へ進んでいるからこそ、大聖人の精神を正しく受け継いでいくことが大事であると思い、開始しました。今のところ7回開催し、21ページ分の講義を修了しました。さらに、今一度、草創期の苦労を知り、原点に返るためにも、「人間革命読了運動」を、8月25日より開始しました。御書講義一つとっても、そもそも御書がなければ成立しない。講義できることは決して当たり前ではなく、戸田先生はじめ、草創の同志の苦労があればこそできることなのです。

仏法(人の生きる道)の根幹は「感謝」です。「ありがとう」と言われ、嬉しくない人はいないでしょう。そして、ありがとうの反対が「当たり前」です。御本尊に巡り合うことができたからこそ、題目をあげることができ、もしも、三代会長の筆舌に尽くせぬ戦いや、創価学会がなかったら、果たして信心することができたか。そういう観点からしても、常に報恩感謝していく姿勢が重要であり、日々の勤行における御観念文は大事にすべきものです。

何事も、当たり前と思うところから堕落がはじまる。同志の苦労や、師に守ってもらうのが当たり前と思うようになってしまったら、忘恩の輩となっていく。これは誰もが戒めるべきことであり、感情優先の凡夫は、常にこのことを意識していかなければなりません。そのためには、ワクワクさん様が紹介してくださっている、「とにかく1日1時間、闘いの中で題目をあげきりなさい」との先生の指導の中に、甚深無量の意味があると思います。私も、1日1時間超えの唱題を意識し、挑戦しています。

創価学会という組織にいる限り、組織悪との戦いは、誰にも避けることはできません。大事なことは、「組織悪に染まらないこと」であり、題目をあげぬく意味もそこにあります。題目を1時間あげると、環境に左右されない生命状態へと変化していくことが実感としてわかります。御本尊に境智冥合し、何ものにも染まらない蓮華の自分が湧現します。その上で、現実に自分ができることを成していくところに信心があると思っています。
組織がおかしくなればなるほど、いよいよの信心で、信を強めていくこと。すべての事象を信心を強めるために機能させることが価値であり、変毒為薬です。これが日蓮仏法であると確信します。

私の好きな先生の指導に、「何があってもゲラゲラ笑ってなさい」という言葉があります。これは、先生より直接聞いた言葉です。人生の醍醐味も、ピンチであればあるほど、ニヤッと笑うところにあります。ピンチはチャンスであり、一発逆転の好機へと一念を転換するのが、「ゲラゲラ笑う」ということと理解しています。笑うことが因となり、勝利を拓いていくことができる。恐るべきは三世の恥であり、今生の恥など取るに足りないと笑い飛ばしていくこと。その強さの中に、仏の生命も輝き渡るのではないでしょうか。