投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年10月27日(火)18時00分22秒   通報

>ただ、ただ自分は第一線で戦っていると思いたいだけの自己満足では?
それより、放置されているたくさんの多宝会を訪問し、激励して上げたら、本人も家族もどれほど喜ぶだろうか?<

時間とエネルギーは有限です。それをどこに費やすかが人生であり、学会員は、広宣流布という最高価値の実現のために費やしています。しかし、組織が官僚化すると、「目の前の人」よりも、「目の前の戦い」が優先され、細かい気遣いや、激励が少なくなっていきます。一人を大切にできてこそ創価学会であり、日蓮大聖人直結です。優先順位を間違えると、人間主義から組織主義へと転落し、結果的に、一人を大切にできていないという現象が起こります。総じてまだまだ、一人ひとりへの激励が足りないのが実情でしょう。それが、未活動家の数として反映されているように思います。

一人を大切にするとは、相手の「感情」を大切にするということです。人間は感情の動物であるからこそ「納得」を求めますし、それなくして、「信心で受け止めなさい」というのは無慈悲です。人は正しいから動くのではなく、心が満たされた時に動くものです。納得の対話ができない幹部は偽物であり、現場の人間はするどく見抜きます。今現在、信用・信頼されている幹部がどれほどいるというのか。「この人なら話を聴いてもらえる、わかってもらえる」と思わせることができない幹部は、どこかに狂いがあるものです。

自分が悩み苦しみ、そして、どれだけ人に同苦し、尽くしたか。その経験値が多ければ多い程、人間力は身に付きます。人間力なき「創価エリート」では、人が離れてしまう。組織運営、行事運営ばかりに長けても何にもならない。教義変更や安保法制の是非はおいといて、それ以上に私が心配なのは、「果たして人間が見えているのか」ということです。決定権を有する人間たちの「誠意」のなさの根元にあるものは一体何なのか。この根元にあるものと、54年の問題はリンクしているのではないか。話を聴くこともなければ、納得ある対話もしない、できない、そういう姿勢が大問題なのです。

人の心がわからなくなると、独りよがりの自己満足の活動になる。組織悪は心をマヒさせます。学会には様々な戦いがありますが、「何のため」を見失っているときは、組織悪に染まっている状態といえます。これは誰もが陥りやすいポイントですので、注意が必要です。広宣流布は遠くにあるのではなく、目の前の一人の中にあります。そこを蔑にして、広宣流布を叫んでも、絵に描いた餅です。幹部の子どもに未活動家が多いのはまさに、足下がグラついているからでしょう。どれだけ組織で活動しようと、家族や子どもの心が離れてしまったら悲惨です。

そういう人の特徴として、「話を聴かない」、「自分が常に正義側で一方的」、「善悪二元論で判断」、「組織無謬のイエスマン」、「弱みを見せない」、「思考停止」などが挙げられます。これらは人間革命の対極にあるので、変わるのが難しく、その一念が、組織の行き詰まりとなってあらわれたりします。組織と言っても人の集合体であり、組織を善くするも悪くするも、一人ひとり(就中幹部)の一念にかかっています。こういった一種の「とらわれからの解放」こそが人間革命のカギなのです。