投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年10月 5日(月)19時47分26秒   通報

>ただ学会の活動者として戻るべきなのかわからない状態です<

広宣流布を成し遂げることを本気で考えるのならば、いずれは学会活動に復帰していくことが正しいあり方だと感じます。ただし、仏法は一念の世界ですので、形だけ戻ったとしても、同じような問題で躓いてしまうのではないでしょうか。ごまかしがきかないのが一念の世界であり、心の「葛藤」と向き合わずに活動したところで、そこには躍動はありません。

創価学会の体質やシステム、幹部の問題ある振る舞い等、あげればきりがないですが、桜吹雪様のように、信仰心があっても、何らかの理由により活動に参加することを躊躇している人は多いです。ある意味、人災により、どれだけ多くの人材の損失があったことか。逆に、桜吹雪様が「学会活動したい」と思えるような組織に変わったのなら、どれだけ広宣流布が進むかは、計り知ることはできません。

悩んではじめて信心のすごさもわかり、御書に「このやまひは仏の御はからひか」(P1480)とあるように、学会活動への葛藤を抱き、悩んでいること自体が、とてつもなく意味のあることです。病とは、悩みや苦しみであり、同時に使命でもあります。どうか、葛藤から目を背けず、大いに悩み考え、そして祈りに祈り、答えを出してみてください。自分自身の中から生まれた答えこそが真実であり、本物なのです。

御本尊は主師親の三徳を具えています。どうしたらいいかわからないからこそ人は祈るのです。師の徳により必ずや正しい方向へ導いてくれます。そのためには、素直にありのままの思いを御本尊にぶつけていくことが肝要です。焦る必要はありません。葛藤と向き合い、祈りきることも立派な仏道修行であり、戦いなのです。今こそ本物の体験を積み、同じように悩んでいるメンバーの希望となっていってください。

学会活動を形式的にこなしたとしても、人間革命、宿命転換にはつながりません(功徳がないわけではありません)。組織が官僚化(形式活動化)していると、メンバーにそのように思わせてしまいます。一言でいうならば「グッとくるものがない」。そういう魅力のない組織へ堕してしまうと、いたずらに会員を苦しめてしまう。そういう現象は至る所で起きています。

何事にも時があります。葛藤を抱えているときは、御本尊にひたぶるに祈る時です。そして見事に打開し、新たな広宣流布の道を切り拓く。葛藤こそが信を深めるチャンスであり、ボーナスステージなのです。