投稿者:ジョーカー 投稿日:2015年 9月28日(月)23時18分54秒   通報 編集済

9月27日付 聖教新聞「光の言葉 幸福の曲」より
「ただ純真というだけでは、縁に紛動されやすく、悪しき権威に利用されやすい。自分自身できちんと正邪を見極めていける、確かなる信仰者を一人でも多くつくっていく―これが、今、最も正しく、最も大事な将来への道である。」

これが池田先生の最新の指導であり、宿坊の掲示板でやろうとしていることもまた、「確かなる信仰者をつくること」である。師が厳然と指揮を執られている時代は、純真であってもよかったが、師のいない時代というのは、純真はかえって悪に利用され、騙される危険性が高い。そのことを、あらゆる情報を通し、訴えているのが宿坊の掲示板でしょう。純真からの脱却は、「自身で考えること」が不可欠であり、そのためのきっかけこそが「情報」なのである。

何も知らなければ何も考えることはできない。無知は、結果的に悪へと加担し、第六天の魔王を増長させてしまう。賛成・反対・中立の、あらゆる意見を聞いた上で、物事を判断していかなければ、正邪を見極めることは出来ない。組織の打ち出しや考えに合わせていれば楽であり、多数派でいられる。しかし、一方の意見だけを聞いて、それだけが正しいとしてしまうところに、今の活動家の危うさがある。考えているようで、まだまだ考えていないのが実情といったところでしょう。

悪しき権威は民衆を隷属させ、考えることを放棄させる。意見を異なる者を異端扱いし、排除しようとする。これでは凝り固まったドグマの世界であり、創価学会は断じてドグマに陥ってはならない。真実から目を背け、見たいものだけを見ていれば、傷つくことも考えることもない。これをユートピアともいう。そういう世界に生き、耐性のない人間は、なにかあるとすぐに動揺し、縁に紛動される。敵は内部であり、就中、本部や執行部こそが権威であり、魔となってあらわれることは先生の指導からも明らかであり、それが仏法の原理である。宿坊の掲示板で飛び交う情報で、驚くに値する話は一つもない。

内部に第六天の魔王が出現することは想定内であり、それを見破ることができるかどうかにかかっている。魔王は、正邪を見極めることのできる、「確かなる信仰者」にしか見破ることは出来ない。そういう人間を一人でも多くつくっていくことが、先生の呼吸であることは明白であります。羊千匹よりも獅子一匹たれであり、確かなる信仰者こそが池田門下なのである。

正邪は自分自身で見極めるものであり、ほかの誰かが決定してくれるものではない。況や、いまだに師を頼りにしていたとしたら、あまりにも情けない。先生はそこからの脱却という意味も込め、「自分自身」と表現されているのではないだろうか。組織といっても、そこにいるのは人間であり、人間こそが土壌である。土壌を変えるには、一人ひとりが変わっていくしかない。自分自身で考え行動できる、自立した学会員を増やしていくことが創価学会の未来をつくることであり、そのために一体なにが出来るのか。ここは、各自の判断であり、現実に形にしていくことができるかどうかが戦いなのです。

信濃町の人びと様
新出発にあたり、私も5分間同盟唱題に参加させていただきました。
すべてを変毒為薬し、確かなる信仰者輩出の一助となる掲示板にしていけたらなと思っています。