2015年10月10日 投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月10日(土)09時15分30秒 通報 §如来神力品§(2) 上行菩薩への結要付属 —- 「人間主義の仏法」の夜明け ■ 「日蓮と同意」で広宣流布へ立て!! 池田名誉会長: この間、大変に素晴らしい詩を聞いた。 「ユートピア(理想郷)は、地平にある。 私が二歩、近づけば、それは二歩、遠ざかる。 私が二歩、前へ歩めば、地平は二歩、足早に進む。 どんなに私が前に進んでも、決して到達することはない。 それならば、ユートピアは何のためにあるのか? それは、私たちを前進させるためである」 ウルグアイの詩人(エドアルド・ガレアーノ)の詩です。 ブラジルカンピーナス市のホッシーニ議員が、挨拶のなかで引かれていた。 遠藤: 池田先生へ「名誉市民」称号を贈りに来日された時ですね。 ちょうど六月六日(九八年)、牧口先生(初代会長)の生誕記念日(百二十七周年)でした。 須田: 名誉市民証だけでなく、牧口先生への特別顕彰、池田先生への「カルロス・ゴメス」文化功労メダル、市議会の功労者メダル、池田先生の奥様への顕彰など、盛りだくさんに持参してこられて、「まるで、サンタクロースみたい」(笑い)と言っていた人もいました。 斉藤: 偉大な業績に対しでは、人間として「顕彰する責務がある」 —- こういう信念なんですね。 遠藤: 嫉妬の日本とは、正反対です。 斉藤: この詩は、私も感動しました。「ユートピア」というのは、私たちにとって「広宣流布」と言ってよいかもしれません。 もちろん「ユートピア」には「非現実的な夢想」といった語感もありますが、「広宣流布」はそうではありません。ただ、永遠にその理想を目指して「前へ前へ」と挑戦していく。そのために、皆を引っ張って前進させていく力が、「広宣流布」にはあります。 須田: 「広宣流布」という理想がなかったら、不惜身命の修行もないし、一生成仏もありません。 名誉会長: 「広宣流布」と「一生成仏」は、地球で言えば「公転」と「自転」です。一体不二の関係です。私が、この詩を素晴らしいと思うのは、ここに「本因妙の仏法」の精神が、わかりやすく示されているからです。 はるかなる「本果」を目指して、つねに前進する。つねに出発である。つねに希望に燃えている。つねに未来を目指し、つねに久遠元初から出発していく。いな、毎日が、一瞬一瞬が、久遠元初である。 「本果」とは、「広宣流布」であり「成仏」でしょう。「もう、これでいい」という”終着点”は、観念として描くことはできるが、現実にはありえないと言ってよい。 斉藤: そう思います。「成仏」した「仏」ならば、「もう、これでいい」と安住することなく、最後まで前へ前へ進むはずです。 名誉会長: もちろん、今世の便命を果たしきった人の胸中には「これでよし!」という大満足感が広がっていることも事実です。そのうえで、なおも人々のために、行動し続けるのが「仏」です。「本果」は理想であって、「本因」こそが現実です。 さあ、そこで、神力品です。 神力品の「付嘱」の儀式は、端的に言うならば、「本果妙の教主」から「本因妙の教主」へのバトンタッチです。それは、燦然たる三十二相の「仏果」という理想像を中心とした仏法から、凡夫の「仏因」を中心とした仏法への大転換を意味する。凡夫の素朴な現実から離れない仏法への転換です。 斉藤: 「本果妙の教主」というのは、五百塵点劫という太古に成仏した「久遠実成の釈尊」ですね。 遠藤: 「本因妙の教主」とは、地涌の菩薩のリーダーである「上行菩薩」です。 須田: 「久遠寿成の釈尊」は「仏界」を表し、上行菩薩は「九界」の代表と言ってよいと思います。 「仏界しの代表から「九界」の代表への付嘱とは、一体、何を意味するのか —- 。 古来、法華経の一番の難所です。 Tweet