投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月10日(土)12時48分19秒   通報
■ 諸仏を生んだ「根源の師」

名誉会長: 前回、神力品の「十大神力」を学んだが、その続きを見てみよう。

遠藤: はい。十神力とは、(1)仏が舌を天まで伸ばし、(2)体から無数の光を放ち、(3)諸仏が一斉に咳払いし、(4)一斉に指を弾いて鳴らし、(5)その咳払いと指の音で、十方の諸仏の世界の大地が震動し、(6)十方の世界の衆生が裟婆世界の仏の姿を見て歓喜し、(7)空中から大きな声がして「釈迦仏を礼拝せよ」と呼びかけ、(8)その呼びかけに応じて、もろもろの衆生が合掌して、釈迦仏に帰命し、(9)十方世界から、種々の華や香、あらゆる宝物が娑婆世界に届けられ、それらが集まって宝の帳となって十方の諸仏を覆い、(10)十方の世界の隔てがなくなって、一つの仏土になつた。
要するに “娑婆即寂光”の姿であり、広宣流布の姿です。
今回は、その続きですが、釈尊はここで驚くべきことを言います。
「諸仏の神力は、このように無量無辺であり、不可思議である。しかし、付嘱のために、この神力をもって、無量無辺百千万億阿僧祗劫の間、この経の功徳を説いても、説き尽くせないのだ」(法華経p580、通解)と。

斉藤: ある意味で、十神力は、このことを言わんがために説いた面があると思います。

名誉会長: これは単に、法華経の功徳を賛嘆しているのではない。
じつは、仏の滅後に、この経を持つ人、すなわち上行菩薩の功徳を賛嘆しているのです。それがポイントです。

須田: そのことは、神力品の「偈(詩)」の部分に示されています。
「是の経を嘱累せんが故に
受持の者を讃美すること
無量劫の中に於いてすとも
猶故尽くすこと能わじ
是の人の功徳は
無辺にして窮りあること無けん
十方の虚空の
辺際を得べからざるが如し」(法華経p582)

遠藤: この直前に「仏の滅度の後に 能く是の経を持たんを以っての故に 諸仏皆歓喜して 無量の神力を現じたもう」(同)とあります。ですから、仏の滅後の「受持の者」すなわち地涌の菩薩なかんずく上行菩薩のことを賛嘆しているわけです。

須田: その功徳は「無辺」にして、限りがない。
宇宙に限りがないのと同じである —- と。

名誉会長: 全宇宙を揺るがす仏の大神力をもってしても、上行菩薩の功徳を驚嘆しきれない —- という。これは、ただごとではありません。
しかも、諸仏が「無量の神力」を現じたのも、将来、仏の滅後に、上行菩薩がこの経を持っていくことに対して、歓喜したからだという。いわば、上行菩薩の未来での活躍を祝福しての十大神力です。

斉藤: これだけを見ても、上行菩薩が、仏法上、特別な、なみなみならぬ存在であることがわかります。しかも、宝塔品(第十一章)で、多宝の塔が出現して以来、すべての説法が、この「上行菩薩への法の付嘱」という一点を目指して進んでいるわけです。
「法華経とは何か」を解く「鍵」は、この上行菩薩にあると考えられます。

遠藤: 釈尊が「仏の神力でも賛嘆し尽くせない」と言ったのは、長行では「此の経の功徳」であり、偈文では「受持の者(上行菩薩)」です。
一方では「法」であり、他方では「人」です