投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 8日(木)17時33分37秒   通報
斉藤: 国土が喜びに震えると、今度は「(6)そこにいる、生きとし生けるものが、娑婆世界の仏の姿を見ることができた。釈迦仏と多宝如来が宝塔の中におられるのも見えた。諸仏は皆、師子座に座り、釈迦仏を無量の菩薩や出家・在家の人々が取り囲んでいた。これらを見て、皆、いまだかつて味わったことのない大歓喜を得た」。

名誉会長: 彼らの眼前に諸仏が満ちている。しかも「師子座」に座っている。師とは「師匠」、子とは「弟子」。師弟不二があれば、いかなる世界でも、寂光土に変えていけるということです。

須田: 法主が座る「猊座」も本来「師子座」の意味です。いわば「師弟不二」の実践者の座です。先師に違背する人間に座る資格はありません。

斉藤: このように十方世界が —- 十界の衆生すべての住む世界と言ってよいと思いますが、すべて大歓喜に満たされたとき、「(7)空中から大きな声が響きわたる」という不思議が起こりました。
諸天が、こう呼びかけたのです。
「娑婆世界というところに、釈迦牟尼仏という仏がおられて、今、菩薩のために妙法蓮華経を説いておられる。お前たちは、深く随喜して、釈迦仏を礼拝し供養しなさい」と。

遠藤: その呼びかけに応じて「(8)もろもろの衆生が合掌して、釈迦牟尼仏に帰命」します。

名誉会長: 大聖人は、この「釈迦牟尼仏」とは「忍辱の心」のことであると仰せだ。すごい生命論です。
娑婆世界は「堪忍の世界」です。耐え忍ぶ世界です。悪い機根の衆生が集まった国土であり、正しいことが正しいと受けとめられない。かえって迫害に遭ってしまう。

須田: 日本は、その典型です。

名誉会長: 我が身を捨てて民衆を救う人が、かえって、いじめられる。「転倒の世界」です。その「難」を、また「侮辱(ぶじょく)」を耐え忍んで、なおかつ妙法を弘めるのが「忍辱の心」です。迫害されても、迫害されても、それにまさる不屈の執念で、魔軍を押し返し、押し返して戦い続けていくのです。その「忍辱の心」こそが「仏界」であり、「釈迦仏」なのだと大聖人は教えてくださっている。
十方世界の衆生が、その「仏界」を礼拝した。すなわち「広宣流布しきつていく心」を礼拝したのです。
今、広布に戦う私どもを、その「信心」を、必ずや大宇宙の仏菩薩が、賛嘆しきっておられるに違いない。

須田: 法華経が説かれるまで裟婆世界は、救いがたき極悪人の集まりのはずだったのに、このようにして、まったく変わつてしまいます。「(9)十方世界から種々の華や香や、ありとあらゆる宝物が娑婆世界に届けられ、雲のごとく集まって、一つの大きな宝の帳となった —- カーテンとか、しきりとか、あるいは天蓋、大きな傘のようなものを想像してよいかと思います —- それが十方の諸仏を覆った」というのです。
そして「(10)十方の世界の隔てがなくなり、一つの仏土になった」と説かれています。

遠藤: すでに寿量品で、「裟婆世界」こそが、久遠の昔から釈尊の「本国土」であると説かれていますね。その“娑婆即寂光”が現出したのです。