投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 6日(火)09時17分35秒   通報
■ 在世は今にあり、今は在世なり

斉藤: 一方、不軽菩薩は、その後も、生まれるたびに諸仏に仕え、法華経の広宣流布へ「心畏るる所無く」戦い続けます。そして仏になります。

名誉会長: そこまで語って、突然、釈尊は「この不軽菩薩とは、だれのことか? ほかならぬ私のことなのだ」と宣言するのです。じつに、ドラマチックだ。

須田: 速い昔話と思つていたのが、一転、目の前の現実の話に変わる。皆、どきっとしたでしようね。

名誉会長: そこです。日蓮大聖人は、この「豈異人(ことひと)ならんや、即ち我が身是れなり(どうして別人であろうか。いな私のことなのだ)」の経文を、さらに深く我が身で読まれたのです。大難を呼び起こし、竜の口で命まさに尽きなんとするとき、発迹顕本され、生きのび、命をのばされた。そして佐渡に向かう途中の寺泊で、こう仰せです。
「法華経は三世の説法の儀式なり、過去の不軽品は今の勧持品今の勧持品は過去の不軽品なり、今の勧持品は未来は不軽品為る可し」(御書p953)

遠藤: “今、勧持品に説かれる三類の強敵を呼び起こしたのは、私である”と。
それは過去に不軽菩薩が戦った戦いを、今、この身でしているのであり、未来から見るならば、今の私の戦いは不軽菩薩と同じとわかるであろう —- と。

斉藤: 「三世の説法の儀式なり」。甚深ですね。

名誉会長: 「在世は今にあり今は在世なり」(御書p916)です。
ぼやっとして、「法華経」を、紙に書いた二十八品のことと思ってはならない。
仏法は「今」「ここの」、凡夫の「現実」のなかにしかないのです。この「今」の奥底を「久遠」といい、この奥底を開くことを成仏という。それを教えたのが法華経なのです。
今です。この今、広宣流布へ「戦おう!」という「一念」のなかにのみ妙法蓮華経は生きている。「豈異人(ことひと)ならんや」。大聖人は「不軽菩薩はじつは釈尊であった。今、大難にあっている私もじつは釈尊なのだ。仏なのだ」と教えてくださつているのです。それがわからないと、法華経を学んだことにならないよ、と。

須田: 法華経というのは、本(書物)のことではない —- 。

名誉会長: 戸田先生にある人が質問して「中国・インドに仏法がもはやないと言われているが、経典はたくさん残っているではないか」と。
先生は「経典があるだけで、正しい信仰がなければ、仏法はない。経典は、それだけでは、ただの本(書物)だ。仏法じゃないのです」と言われていた。

斉藤: 御書も同じですね。「在世は今にあり今は在世なり」という信心で拝し、行動しなければ何にもならない。古文書を読んでいるだけになってしまう。いな、かえって自分は教学力があるんだと慢心してしまえば、「増上慢の四衆」の生命になつてしまいます。

名誉会長: 不軽菩薩は、上手な話もしなかった。偉そうな様子を見せることもなかった。ただ、愚直なまでに「下種」をして歩き回った。その行動にこそ、三世にわたつて、「法華経」が脈動しているのです。
要するに学会員です。最前線の学会の同志こそが、不軽菩薩なのです。皆から尊敬されて、自分が偉いと思つているのは「増上慢の四衆」です。幹部にしても、だれにしても、「創価学会」という不思議な仏勅の団体に力があるからこそ、活躍もできるし、ものごとも進む。それを目分の力のように錯覚するところに、転落が始まり、堕落が始まる。
ともあれ「豈異人ならんや」 —- 自分自身が不軽菩薩なんだ、南無妙法蓮華経の当体なんだと決めて、「不軽」の修行をしていくことです。

遠藤: 不軽の修行と言えば、先生が学会創立七十周年への門出を祝し、歌を贈ってくださいました。

晴れわたる
不軽の心の
広宣の
友の功徳は
億万劫かな

妙法は
無始より無終の
法なれば
南無して生きなむ
其罪畢已と

須田: 不軽の精神で、広布の道なき道を切り開いてきた学会員の功徳は、永遠であるとのメッセージですね。また、「其罪畢已(其の罪畢え己って)」(法華経p573)も不軽品に説かれる重要な法門です。

遠藤: ええ。つまり、不軽菩薩が上慢の四衆から迫害を受けたのも過去の法華経誹謗の故であり、それに耐えて法華経を弘めたことによって過去の重罪を消滅したのである、と。

名誉会長: 法を説いて、どんなに反対され、迫害されても、「これで自分の罪業を消しているのだ」と喜んで受けきっていきなさいということです。「嘆いてはならない」と教えてくださっているのです。
それで思い出すのは、戸田先生が、獄中で四回、殴られたことです。権力をカサにきた看守が、理由もなく、戸田先生を一度、二度と殴った。先生は、腹の底から焼けつくような怒りがわいてきたが、囚われの身では、歯を食いしばって我慢するしかない。
やがて、房の中で法華経を読み、題目をあげぬいていったとき、これは目分の宿業を消しているんだということがわかったというのです。
そして三度目。 春まだ浅い日の入浴の時だった。
小さな風呂場へ、四、五十人の囚人が看守にせきたてられながら群がっていく。戸田先生は三十分も待たされ、体は冷え切っていたが、お湯を無駄にしないようにと、後に続く囚人を気遣って、体にかかった湯が風呂に戻るような浴び方をした。
すると、いきなり看守の怒声が飛んだ。
「貴様! 生意気に悠々と湯を浴びたろう! けしからん奴だ!」
同時に、先生の頬は数回、激しく打たれた。その時、くやし涙のなかで、はっと「そうだ! もう一度、殴られる! 四度目に殴られたら、それは帰れるときだ!」と思った、と。その確信の通り、ある時、また狂気の看守が先生の背中を麻縄で、ぴしり! ぴしり! ぴしり! と二十数回も殴った。
もちろん激痛だったが、先生は心の中で「きた! 四回目だ! これで罪は終わった!」と喜び、叫んでいたというのです。そして戸田先生の獄中の悟達へと続くのです。

斉藤: 身ぶるいするようなお話です。仏法の深さに身ぶるいするし、権力の残酷さにも身ぶるいします。