2015年9月4日 投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 4日(日)15時10分28秒 通報 §常不軽菩薩品§ ■ 「増上慢」の勢力との戦い 池田名誉会長: 桜が見事だ。「さまざまの事おもひだす桜かな」。 芭蕉の言う通り、桜が咲くたびに、あの日の桜、あの年の春と、思い出が蘇る。 戸田先生が亡くなつた四十年前 —- 。 四月八日の告別式の日も、桜吹雪が舞っていた。ひと片(ひら)ひと片が、いのちをもっているかのように光って、飛んでいた。妙法の大英雄との別れを惜しんでいるようであつた。 戸田先生の訃報を聞いて、駆けつけてくださった目淳上人は言われた。 「戸田先生は、本当に立派な方です。 —- 仏様なんですよ」と。 一生涯、庶民のために命を削り続けた先生であつた。 一生涯、国家主義の権力と一戦い続けた先生であつた。 散る桜 —- 思えば、戦前は国家主義のために桜まで利用された。「桜のように、いさぎよく、ぱっと散るのが日本人だ」などと、死が賛美された。とんでもないことだ。 本当は、桜は、生きて生き抜いていく象徴です。「花見」というのも、古来、花がどれだけ咲いているかを確かめる行事であったという。なぜかならば、桜の花がたくさん咲き、しかも長く咲き続けていれば、その年は豊作と言い伝えられてきたからです。 斉藤: そうしますと、いさぎよく、ぱっと散っては困るるわけですね —- 。 遠藤: それが反対の方向に、ゆがめられてきた。 名誉会長: 幕末から明治にかけて、「ソメイヨシノ」が全国的に広がっていたことも、「ぱっと散る」イメージに利用された。 須田: たしかに、東京などでは“葉よりも早く花だけが咲く”とか“一斉に咲いて一斉に散る”といった特徴があります。 遠藤: 権力というものは、利用できるものは何でも利用してしまう。恐いと思います。 斉藤: しかも、そうやって「意図的に広められたイメージなんだ」ということが、だんだん、わからなくなってしまう。「昔から、そうだつたんだ」と何となく、皆、思ってしまいます。 須田: 桜は、死の象徴ではなく、生きて生き抜く象徴なんだと言われて、はっとしました。豊かな実りへの「民衆の希望」が託された花だったんですね。 池田名誉会長: 戸田先生も、「民衆の希望」を担って、生き抜かれた。体は、二年間の獄中生活で、ばろぼろであった。しかし、先生は命を振りしぼつて、生きて、生きて、生き抜かれた。国家悪に殺された牧口先生の「分身」として —- 。 まさに奇跡のごとき生命力であつた。まさに「寿量品」でした。 戸田先生が亡くなった年の元日、先生は最後の「新年の講義」をしてくださった。 長い闘病で、お体は衰弱しておられたが、声だけは力強かった。 その時の先生の話は何だったか。それは、寿量品の「三妙合論」についてだった。 <三妙合論とは、本因妙(仏の境涯を得るための根本原因の不可思議)、本果妙(本因によって得た仏果の不可思議)、本国土妙(その仏が住む国土の不可思議)が合わせて説いてあること> 斉藤: 最後の最後まで、法華経講義をなされたのですね。それにしても、なぜ、この時に三妙合論の話をされたのでしょうか。 名誉会長: 特に先生が力をこめて教えられたのは、日蓮大聖人が「本因の仏」であられるということ。そして、真実の仏とは娑婆世界という「現実の世界」以外には、いらっしゃらないのだということです。 Tweet