投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 4日(金)18時15分37秒     通報
遠藤: さきほど「我慢」のエネルギーという話がありましたが、こうも書かれています。「邪悪な人たちの異常な意志の強さは驚くほどである」
「彼らは、ご立派な体面や世間体を獲得し維持するためには人並み以上に努力し、奮闘する傾向がある。地位や威信を得るためであれば、大きな困難にも甘んじ、熱意をもって困難に取り組むことすらある」

名誉会長: 問題は、そういう努力が全部、自分の利己心から出ているということだね。仏法では「心こそ大切」と説く。同じような努力の姿でも、自分を超えた何らかの価値 —- 善や美、多くの人の利益のためなのか、自分のエゴのためなのか。
私どもで言えば、「広宣流布のために自分がある」と心を定めて、自分を捧げきっていくのが信心です。しかし退転者・反逆者は「自分のために創価学会がある」という転倒に陥ってしまっていた。慢心のあまり、同志を尊敬するどころか、学会を利用し、役職を利用し、私を利用して、自分をさも偉く見せようとした。

斉藤: それを先生に見破られ、多くの人にも嫌われていったのですね。

須田: それで反省すればよいものを、逆恨みして攻撃を始めた。

遠藤: その心理もやはり、幻影の自我像を守ろうとするのが要因ではないでしょうか。
さきほどの本に、こうあります。
「邪悪な人間は、自分自身の欠陥を直視するかわりに他人を攻撃する」「自分自身のなかにある病を破壊すべきであるにもかかわらず、彼らは他人を破壊しようとする」。彼らは「自分自身の罪悪感に耐えることを絶対的に拒否する」。

須田: まさに「自ら省ること能わざる」姿です。だから逆恨みする。

斉藤: これまで単に、「修羅は勝他の念」と公式的に語りがちでしたが、深い人間学がありますね。人間の自我意識そのものにまつわる宿命的な婆といいますか —- 。
三悪道は環境に埋没している境涯です。しかし修羅界は、そこを一歩抜け出て、環境や状況に左右されない自己を、ある意味で持っています。

須田: それが「三善道」の一つに数えられる理由でしょうね。

斉藤: しかし、そういう主体的な自我意識をもったとたん、「勝他の念」という煩悩に支配されてしまう。

名誉会長: そこを、どう突破するか。そこに「人界」への飛躍がある。結論すれば、「他人に勝つしことに向けられていたエネルギーを「自分に勝つ」ことに向けてこそ、人界となるのです。
ただ、人界を語る前に、修羅界の大きな特徹である「嫉妬」について考えておこう。