投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 2日(金)12時25分56秒   通報
名誉会長: あらさがしをしているわけではない(笑い)。目立たないところから見ていけば、全体がよくわかるものなのです。
例えば、雑誌だって、表紙とか初めのほうは、誰だって力を入れて作る。
「大白蓮華」でもそうでしょう(笑い)。だから、むしろ後ろのほうから読むと、どれくらい本気で力を入れて編集しているかがわかる。そういう傾向性を見るのも「眼力」です。

須田: よく先生は、車の陰にいる役員とかを、誰よりも早く見つけて、激励されていますね。

名誉会長: 私のことばかり言っていないで、自分がそうならなければいけない(笑い)。
私は自分自身が陰で戦ってきたから、陰の人の苦労がわかるのです。華やかな檜舞台の人だけでなく、「縁の下」にこそ「力もち」がいるものです。私は、いつもその人たちのことを思っているし、朝から晩まで、激動につぐ激励をしています。

斉藤: ある人が「名誉会長は宗教家であり、社会運動家であり、著述家で、写真家で、教育者でと、さまぎまな顔をもっている。一言でいうと、どういう仕事と言えるだろうか」と言うので、僭越ですが、私は「人生励まし業」ではないでしょうかと答えました。「人材育成業」と言ってもよいかもしれませんが —- 。

遠藤: そういう日常の「常精進」によって、初めて「眼根清浄」へと磨かれていくということですね。

名誉会長: 「眼根清浄」について、重ねて釈尊が説いた偈に、こうある。
「若し大衆の中に於いて 無所畏の心を以って 是の法華経を説かん 汝其の功徳を聴け」(法華経p542)
大衆の中に飛びこみ、畏れるところ無しの心で、弘教していく時に、眼根清浄の功徳を得るのです。必ず「智慧の眼」が開けてくる。「開目」です。「天晴れぬれば地明かなり」(御書p254)です。
自分の生活においても、どうしたら一番いい方向に開けるのか、はっきり見えてこなければならない。愚かであっではいけない。あせることなく、粘り強く、信心根本の工夫と努力を重ねていけば、必ず、自分にとって「無上の道」が見えてくる。
また自分のことだけでなく、一家の未来、地域の未来、社会の未来までも洞察していけるのです。日蓮大聖人は末法の御本仏であられ、三世を見通しておられる。私どもは凡夫であるが、修行に応じて、必ずや、「智慧の眼」が炯々と輝いてくるのです。

須田: 池田先生が、大聖人の未来記の実現のために、着々とアジア広布、世界広布の手を打たれてきた。今になって、その先見性がわかりますが、初めは誰もわからなかったと聞いています。

斉藤: また、教育・文化に貢献する創価大学にしても、民音や富士美術館にしても、創立に対して、誰もが反対したそうですね(笑い)。

名誉会長: 文化祭だって、鼓笛隊だって、研修道場だって、みんな反対したんだよ(笑い)。
仏法の素晴らしさを、より多くの人々と分かち合うには、文化・教育・平和という普遍的な広場をつくらなければいけないのです。
昔の学会は、色でいえば「灰色」です(笑い)。それを、私がカラフルな彩りに変えたのです。

遠藤: 本当に「先見」だと思います。