投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 2日(金)06時43分6秒   通報
■ 眼根清浄 —- 見えない心を“見抜く”

遠藤: はい。「是の善男子、善女人は、父母所生の清浄の肉眼をもって、三千大千世界の、内外のあらゆる山林、河海を見ること、下阿鼻地獄に至り、上有頂に至らん。亦其の中の一切衆生を見、及び業の因縁、果報の生処を悉く見、悉く知らん」(法華経p541)とあります。父母からもらったこの「肉眼」で、宇宙のどんな山林も河も海も見えるし、下は無間地獄から上は有項天(天界の最高位)までのすべての衆生を見て、その過去世、未来世まで見抜けるというのです。

名誉会長: 「洞察力」ということです。決して神秘的な超能力とか千里眼ということではない。

須田: あらゆる山河や海を肉眼で見るというのは、実際、科学の発達で現実になっています。科学も「生命と宇宙の法則の探究」ですから、仏法の一部であるという見方も可能かもしれません。
その結果、たしかに人間の眼も耳も、すさまじい能力を得ることができました。

斉藤: しかし問題は、それがイコール幸福ではないということです。科学は「外へ外へ」と探究していきましたが、「内面」の深化が伴わなければ、かえって「不幸」を生み出してしまいます。

名誉会長: その「幸福への道」を見いだすのが「眼の功徳」なのです。
自分だけでなく、相手が何を求めているのか。どうしてあげれば開けるのか。名医のように見のがさない。戸田先生も本当に鋭かった。歩き方や、ドアの開け方ひとつで、その人の悩み、状態を見抜かれたものです。

斉藤: 池田先生も若いころから「レントゲン」と言われたそうですが —- 。

名誉会長: 「心」は見えない。見えないその「心」を察知し、「心」の地図に精通していけるのが仏法です。仏法は、心の科学であり、心の医学と言ってよい。
見えない心の法則や動きを、レーダーのように鋭く感知できなければ、仏法の指導者とは言えない。難しいことではあるが —- 。

須田: かつて、ある会合で役員をやった青年が言っていました。壇上いっぱいに大きな垂れ幕をつくって、友人の役員と会合中も、ずっと幕の裏にいた。池田先生の姿を見ることもできないし、もちろん、そんなところに自分たちがいるなんて、みんなは知らない。
ところが、会合が終わる時、池田先生が突然、「垂れ幕の後ろの人も、ご苦労さま」と言われた。驚くやら、感激するやらで、生涯の金の思い出ですと語っていました。

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「御義口伝」から
法師とは五種法師なり功徳とは六根清浄の果報なり、所詮今日蓮等の類い南無妙法蓮華経と唱え奉る者は六根清浄なり、されば妙法蓮華経の法の師と成つて大なる徳(さいわい)有るなり、功は幸と云う事なり(御書p762)

(法師功徳品の)法師とは五種妙行(法華経を(1)受持する(2)読む(3)暗唱する(4)解説する(5)書写する、の修行)を行う法師のことであり、功徳とは六根清浄の果報である。所詮、日蓮および門下が、南無妙法蓮華経と唱え奉れば六根清浄となる。したがって、妙法蓮華経の法の師、すなわち御本尊に自行化他にわたって南無妙法蓮華経と唱える師となって大なる徳があるのである。功は幸ということである。
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名誉会長: 別に超能力があるわけではない(笑い)。ただ私は、いつも「陰の人」を見のがすまい、「陰の人」に光を当てようと心がけているだけです。
沖縄研修道場でも、水槽に珍しい熱帯魚が泳いでいた。(九八年二月下旬、フィリピン・香港訪問のあと、沖縄を訪問)
私は、熱帯魚を採ってきた人は、さぞかし大変だったに違いないと思って、さっそく感謝の伝言をしました。
皆、「きれいだなぁ」と言うだけで(笑い)、それを準備した人のことは考えない。いな、「きれいだ」とも何とも心を動かさない人もいる(笑い)。心がまるで「石」みたいに動かない(笑い)。それではいけない。私はいつも「淵源」を見ようと思っている。目に見えない土の下の「根っこ」を見ているつもりです。

遠藤: 先生が会館に行かれた時も、着かれたとたん、玄関から入らずに、すぐに裏側から回られて、皆、びっくりしたことがよくありました(笑い)。