投稿者:まなこ 投稿日:2015年10月 1日(木)18時13分35秒   通報
■ 環境に負けない生命力

名誉会長: そう言えるでしょう。「強い」人は「幸福」です。ただし、「強さ」というのは相対的なものです。環境と、自分の生命力との「関係」です。
生命力が弱く、しぼんでいると、つまらないことにもイライラし、左右されて、行き詰まり、不幸を感ずる。少し生命力が拡大して、家庭内のことなら解決できるだけの生命力になる。これなら家庭内のことでは行き詰まらない。
しかし一歩、地域のこと、町内・市内の問題となると行き詰まる。また、かりに一国を悠々と繁栄の方向へ軌道に乗せていける生命力をもつ人がいても、いぎ自分自身の生老病死の問題になると行き詰まってしまう。
法華経とは、何があっても行き詰まらない宇宙大の生命力を教えた経です。無限にわきくる大生命力を全人類に与えるのが、この仏法なのです。ゆえに、妙法への「信心が強い」人こそが、最高に「強い」人であり、最高に「幸福」な人であると結論できる。
幸福とは、環境だけで決まるのではない。大邸宅の中で泣いて暮らしている人もいる。しかし、幸福とは、環境と無関係に決まるものでもない。子どもに食べさせるものもなくて「私は幸福だ」と言っても、それはうそです。
幸福とは、環境(外界)と自分の生命力との「関係」で決まる。悪い環境に支配されたら不幸。悪い環境でも、こちらが支配し左右していけば幸福です。

遠藤: だから「生命力の強い人が幸福」と言えるわけですね。

名誉会長: それを「六根清浄」という。現代的には「人間革命」です。
広宣流布に励む人 —- すなわち「法師」は、生命が浄化され、強化される。「生命の偉大化」です。これが「法師の功徳」です。法師功徳品では、冒頭、釈尊が「常精進菩薩」に呼びかけます。

斉藤: はい。対告衆は、この菩薩です。

名誉会長: 日蓮大聖人は、この菩薩について「末法に於ては法華経の行者を指して常精進菩薩と心得可きなり此の経の持者は是則精進の故なり」(御書p763)と仰せだ。別しては大聖人、総じては大聖人の真の門下である私どもこそが対告衆なのです。それは広宣流布へ向かって「常に精進している」からです。

遠藤: 次のように始まります。「爾の時に仏、常精進菩薩摩詞薩に告げたまわく、若し善男子、善女人、是の法華経を受持し、若しは読み、若しは誦し、若しは解説し、若しは書写せん。是の人は、当に八百の眼の功徳、千二百の耳の功徳。八百の鼻の功徳、千二百の舌の功徳、八百の身の功徳、千二百の意の功徳を得べし。是の功徳を以って、六根を荘厳して、皆清浄ならしめん」(法華経p541)

須田: 六根の「根」とは能力を意味するようです。さらには、能力を持つ「器官」を指します。

斉藤: 例えば「見る」という能力(視覚)ならびに器官が「眼根」ですね。
具体的には「眼球」と「視神経」、その能力が眼根です。

遠藤: ちなみに「六根(眼根・耳根・鼻根・舌根・身根・意根)」の対境を「六境(色・声・香・味・触・法)」といいます。また「六根」を働かせている主体を「六識(眼識・耳識・鼻識・舌識・身識・意識)」といいます。これらを合わせて「十八界」です。

斉藤: ここで、法華経を「受持し」「読み」「誦し(暗唱し)」「解説し」「書写する」という五種の修行が出てきます。いわゆる「五種の妙行」です。これを修行する人を「五種法師」というわけですが、法師品でも確認しましたように、日蓮大聖人の仏法では「御本尊の受持」という一つの行に「五種の妙行」が全部、含まれます。
<「日女御前御返事」に「法華経を受け持ちて南無妙法蓮華経と唱うる即五種の修行を具足するなり」(御書p71245)とある>

名誉会長: 「受持」とは不惜身命の信心です。御本尊を抱きしめ、広宣流布に生ききっていくのが「受持」ということです。それが「常精進」です。「日々、広宣流布」であり、「生涯、広宣流布」です。その信心によって、六根清浄になっていく。
まず「眼の功徳」から見てみよう。