投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月19日(土)12時44分10秒     通報
名誉会長: 「ヒマラヤ」というのも、「ヒマ」つまり「雪」と「アラヤ」つまり「蔵」を組み合わせてできたようだ。

遠藤: 「雪の蔵」ですね。

名誉会長: 「阿頼耶識」は蔵のように、一切の業がそこに貯蔵されていくわけだね。善業も悪業も、すべてそこに種子として貯蔵されていく。ただ、「蔵」というと、業エネルギーとは別に、何らかの容れものとしての実体があるような印象を受ける。
しかし、実際には、業エネルギーの生命流そのものが八識と言ったほうがいいかもしれない。

斉藤: 仏典にも「暴流のごとし」とあります。

名誉会長: しかも、八識の生命流は、一個人の境界を超えて、他の生命の業エネルギーと交流している。
八識という生命内奥の次元では、業の潜在的エネルギーは、家族、民族、人類の潜在エネルギーと合流し、さらには動物、植物といった他の生命とも融合しているのです。

須田: 壮大ですね。だからこそ、一人の「人間革命」が、家庭や社会の宿命をも転換していくわけですね。一個人の生命の奥底の業のエネルギーが、悪業から善業に変わることが、他の生命の業の転換に連動していきます。

名誉会長: 「マイナス・エネルギー(悪業)からプラス・エネルギー(善業)への転換」 —- そのためには善業を一つ一つ積み重ねるという方法もある。
しかし、現実的には、石を積んでは自分で崩してしまうようなことになりかねない。特に、社会の奥底に悪のエネルギーが渦巻いているような時代にあっては、そうでしょう。
そこで、八識をも包みゆく宇宙生命それ自体 —- 第九識といわれる「根本浄識」を触発することによって、一気に、善悪の業エネルギーを「極善」のエネルギーに変えていく方法を教えたのが法華経なのです。寿量品の「久遠の仏」とは、この無始無終の根本浄識の人格的表現とも言えるでしょう。
この根本浄識を触発することによって、個人の善悪の業エネルギーは、すべて価値創造へ向かう。更には民族心(民族意識)、人類心(人類意識)をも、慈悲と智慧の生命流に浸していけるのです。

斉藤: この根本浄識こそ、大聖人の教えられた「九識心王真如の都」(御書 p1244)ですね。御本尊であり、信仰者の「胸中の肉団」(同)の御本尊です。

遠藤: 大聖人は「妙法の五字は九識」(御書 p794)とも仰せです。「妙法蓮華経」即「宇宙生命」ということですね。