投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月16日(水)13時13分37秒     通報
■ 文化の違いを超えた普遍的な内容

斉藤: はい。昔から日本でも、死にかかった人が意識を回復した時に、「三途の川」を見たとか、魂が肉体から抜けかしたとか、死んだ親に会ったとか、不思議現象を語ることがありました。こうしたことは世界中でも見られたのですが、学問の研究分野になってきたのは精神科のキューブラー・ロス博士からです。
彼女は、死にゆく人たちの精神的ケアのなかで直面した臨死体験の事例を発表します(1969年)。

遠藤: ロス博士自身も臨死体験をもっています。死の痛みを味わい、次に再生を経験したそうです。自分を見下ろす「第二の私」が光に近づき、光に溶け込み、一体化した瞬間、深い静寂に陥ります。そして目覚めた時に、彼女は生きとし生けるものの生命の脈動を体感するのです。石にも生命があることを感じたといいます。
「私は、私を取り巻いている世界に対する愛と畏怖に満たされていました。私は一枚一枚の葉に、一つひとつの雲に、一本一本の草に、一匹一匹の虫に、恋していました。道の小石たちが脈打っているのが感じられました」と。〈『「死ぬ瞬間」と臨死体験』鈴木晶訳、読売新聞社〉

須田: ロス博士が先鞭をつけたあと、内科医のレイモンド・ムーディ氏が臨死体験をまとめます。これが大きな反響を呼び、学問的な研究が本格化します。現在では国際的な研究団体が組織されるまでになっています。

名誉会長: それまでは臨死体験といっても、単なる夢とか幻想であると思われていた。しかし、科学者による調査事例が揃うにつれて、必ずしもそうではないと考えられるようになったわけだね。

斉藤: はい。臨死体験には、文化や宗教を超えて共通する普遍的な内容があります。
どうして、まったく違う文化で育った人たちが同じような体験をするのか。なかには、自分の信じていた宗教とは矛盾する体験をする人もいるようです。こうなると、何か普遍的な「生命の事実」があると考えるほうが合理的な気がします。
心理学や薬物学、神経学的な解釈では十分に説明しきれない面もあるようです。

名誉会長: 現段階では、臨死体験が何を意味しているかは、学問的にはまだ結論が出ていないわけだね。

遠藤: はい。大きく二つの見解が分かれています。一つは、何らかの意識が死後も存続するのではないかとする説。もう一つは、すべての臨死体験は“脳内現象がもたらすもの”として説明できるとする説です。この説に立つ科学者は、臨死体験は死後の世界を示したものにはならないと主張しています。

名誉会長: 確かに“死後”そのものは、実験によって検証できない以上、仮説の域を出ない。問題は、“死後”があるとするにせよ、ないとするにせよ、「どちらも仮説にすぎない」ということです。決して唯物論的な生命観だけが真実で、“死後存続”説だけが仮説なのではない。実証できないという点では同列です。