投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月16日(水)06時39分19秒     通報
■ 淡路大震災で人生観が変わったという人は多かったようです。
物とか、地位とか、名声や名誉以上に大切なものがある。それは人間の命だ、とわかった。それまで頭の中ではわかっていたが、実感として初めて湧いてきたそうです。

名誉会長: 自分にとって何が一番大切なのか —- 死に臨んで、それがはっきりする。
あるアメリカの母親の話を聞いた。脳卒中で倒れ、数週間、昏睡状態が続いた。しかし、死の直前に彼女は、はっと目を開けた。そして急に笑頗になって、何か見えないものに手をさしのべた。彼女は、まるで赤ん坊でも抱くようなしぐさをして、下を向いた。実に、うれしそうで、幸せな顔だった。そのままの格好で息を引き取った。
実は、彼女は初めての子どもを、出産してまもなく亡くしていたのです。その後で、五人の子どもを産み、皆、立派に育った。彼女は生前、亡くした子のことは話そうとしなかったそうだ。
しかし、死の間際に、お母さんはその子に出会い、その子を抱いて死んでいった —- 残された子どもたちは皆、そう確信したという。〈M・キャラナン/P・ケリー著『死ぬ瞬間の言葉』中村三千恵訳、二見書房〉

須田: 心が打たれる話ですね。

名誉会長: 臨死体験で有名なのは、いわゆる「走馬灯」体験です。走馬灯といっても、最近では実際に見た人は少ないから、「ビデオ・テープ」体験と言い換えたほうがいいかもしれない(笑い)。死に臨んで、一生の出来事が、パノラマのように次々に浮かび上がってくるというのです。
仏法から見れば、九識のうちの第八識である「蔵識」、すなわち「阿頼耶識」に刻まれた一生の業(身口意の行い)が、一気に浮かび上がってくるという見方もできる。ともあれ、臨終は「人生の総決算」なのです。

斉藤: 日蓮大聖人が「先臨終の事を習うて後に他事を習うべし」(御書 p1404)と言われたことは重要ですね。

名誉会長: 釈尊も生まれてまもなく母を喪い、幼いころから死について考えていた。大聖人も幼少期から「死」を見つめておられた。
「日蓮幼少の時より仏法を学び候しが念願すらく人の寿命は無常なり、出る気は入る気を待つ事なし・風の前の露尚譬えにあらず、かしこきもはかなきも老いたるも若きも定め無き習いなり、されば先臨終の事を習うて後に他事を習うべしと思いて —- 」(同)と。
〈日蓮は幼少の時から仏法を学んできたが、念願したことなのだが「人の寿命は無常である。出る息は入る息を待つことがない。風の前の露は譬えもなお及ばない。賢い者も愚かな者も、老いた者も若い者も、いつどうなるか分からないのが世の常である。それゆえ、まず臨終のことを習って、後に他のことを習おう」と思って —- 〉
「臨終」とは、「山頂」に譬えられるかもしれない。人生という山登りを終えた、その地点から振り返って、はじめて自分の一生が見渡せる。
自分は、この一生で何をしたのか。何を残したのか。どれだけの善をなしたのか。悪をなしたか。人に親切にしたのか。人を傷つけたのか。どちらが多かったのか。
自分にとって、一体何が一番、大切だったのか —- それらが痛切に、いな嵐のような激しさで胸に迫ってくる。それが「臨終」の一側面かもしれない。

遠藤: 死にゆく人の肉体は静かに横たわっていても、その胸中では、ものすごい葛藤のドラマが展開しているのかもしれません。それを表現する肉体的力がもうないために、外には現れないわけですが。

名誉会長: もちろん安らかな死もあるわけだが、ある囚人は、こんな体験をしたという。
彼は刑務所内の病棟に入りたくて、病気になるために何度も石鹸を食べた。ねらい通り、病気になったが、度を越してしまった。七転八倒の苦しみのなかで、彼の目の前をパノラマのように自分の人生が駆け抜けていった。彼は長い“犯罪人生”の一コマ一コマを体験し直すのです。
そして驚くべきことに、自分が人に与えた苦しみを、今度は、そっくりそのまま自分が味わうことになったという。〈スーザン・ブラックモア著『生と死の境界 —- 臨死体験を科学する』由布翔子訳、読売新聞社〉

遠藤: 恐ろしい体験ですね。まさに因果応報です。

名誉会長: こうした体験を、どう解釈するか。それは人さまざまです。
ただ私は、一切の先入観を捨てて厳密に調査・研究すれば、「死によって生命は終わりになる」という現代的生命観では説明できない要素があることが証明されると信じています。しかし研究はまだ端緒に就いたばかりだ。