投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月15日(火)19時08分51秒     通報
■ 人類の生き方を一変させる

遠藤: ヨシマチさんの体験は、夢のようでもあります。しかし、“闇の中で光を見る”というトンネル体験や、体外離脱(自分の体から外に出て、意識を失っている自分や病室の周囲を見るという現象)は、臨死体験に特有の現象です。

須田: そうなんです。ヨシマチさんは、一週間の集中治療を終え、心臓の権威でもある担当医に、この話をしたそうです。
すると医師は、「同じように、暗闇から帰ってきた話が、いくつもある」と語っていたそうです。

名誉会長: “死にかけた”体験 —- 臨死体験は最近、多くの研究が出ているね。統計的な本格的調査が始まっていると聞いています。

斉藤: はい。アメリカのある調査によると、「死の瀬戸際まで行った」「九死に一生を得た」と答えたアメリカ人は一五パーセントありました。そのうちの三分の一、すなわちアメリカの人口比からすると、八百万人ほどが、臨死状態で何らかの“死後の世界”を体験しているというのです。
〈カーリス・オシス、エルレンドゥール・ハラルドソン著『人は死ぬ時何を見るのか —- 臨死体験一〇〇〇人の証言』笠原敏堆訳、日本教文社。ジョージ・ギャラップ(ギャラップ世論調査機関会長)とウィリアム・プロククー(著述家)による調査〉

遠藤: 八百万人とは、すごい数ですね。

名誉会長: そういう体験が埋もれたままであったことは、もったいない。今後、世界的に厳密な調査をしてもらいたいものです。
「死後の世界」があるのかないのか。あるとしたら、どうなっているのか。これは、ある意味で、宇宙探検以上に価値がある、人類の最大課題でしょう。その答いかんによって、人類の生き方そのものが一変する可能性が高いからです。
確か、ユング(深層心理学者)も、臨死体験を自伝に書いていたね。

遠藤: はい。ユングは、1944年に心筋梗塞に続いて、足を骨折しました。意識を喪失していくなかで、夢を見ているのか、忘我の陶酔のなかにあるのかはわからなかったが、自己の身の上に途方もないことが起こったと記しています。
「私は宇宙の高みに登っていると思っていた。はるか下には、青い光の輝くなかに地球の浮かんでいるのがみえ、そこには紺碧の海と諸大陸とがみえていた。脚下はるかかなたにはセイロンがあり、はるか前方はインド半島であった。私の視野のなかに地球全体は入らなかったが、地球の球形はくっきりと浮かび、その輪郭はすばらしい青光に照らしだされて、銀色の光に輝いていた」(『ユング自伝Ⅱ』河合隼雄・藤繩昭・出井淑子訳、みすず書房)
「どれほどの高度に達すると、このように展望できるのか、あとになってわかった。それは、驚いたことに、ほぼ一五〇〇キロメートルの高さである。この高度からみた地球の眺めは、私が今までにみた光景のなかで、もっとも美しいものであった」(同)

名誉会長: “地球は青かった”と言っているんだね。それは、ガガーリン以前でしょう?

斉藤: ガガーリンの“初の有人宇宙飛行”が1961年ですから、その十七年前になります。つまり、1944年とは、誰も宇宙から地球を見たことのない時代です。

遠藤: それからユングは、地球を眺めたあと、インド洋を背に、宇宙空間に漂います。そして黒い大きな石塊がみえます。石塊は中がくりぬかれていて、礼拝堂になっていた。ユングが入り口に近づくと、地上に存在するものすべてが消え去っていく感じがした。そして、中に入れば、自分の生命が、どこから来て、どこへ行くのかわかると思ったそうです。

名誉会長: 鮮烈な体験だったでしょう。ここからユングは広大なる精神世界への探究を大きく進めていくことになる。

遠藤: 事実、ユングは死後の存在を確信したようです。

名誉会長: “臨死”というのは、もちろん死そのものではない。しかし、「死」というものを強烈に自覚する契機となっていることは間違いがないでしょう。その結果、臨死体験をした人の多くは、それまでの生き方を一変させている。

遠藤: 確かに、臨死体験を持つ人は、「他者に対して寛容になった」「積極的に相手のために関われるようになった」という例が多いようです。

須田: 先ほどのヨシマチさんも、「臨終の時に、人間というのは、こんなにも自分のコントロールがきかないものか」と痛感したそうです。
命というものは、何とはかないものか、壊れやすいものか。これからは、毎日毎日、「もし万が一、このまま逝っても後悔はない」と本当に言える日々でなければならない、と強烈に感じたといいます。