投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月15日(火)12時19分40秒     通報
■ 我が一念に「広宣流布」を入れる

名誉会長: そのためには、広宣流布への強き責任感に立つことだ。
「だれかがやるだろう」とか、「何とかなるだろう」という、いいかげんな気持ちが一念にあれば、自分で自分の仏界を傷つけるようなものだ。
たとえば今月の予定・スケジュールが決まる。それをただ手帳に書いているだけなら、自分の一念の中には入っていかない。なすべきことを全部、自分の一念の中に入れていくことです。入れていけば、それが祈りとなっていく。一念三千で、勝利の方向へ、勝利の方向へと全宇宙が回転していく。
自分の魂の中、一念の中に、「広宣流布」を入れていくのです。一切の「我が同志」を入れていくのです。広宣流布を祈り、創価学会の繁栄を祈り、我が同志の幸福を祈り、行動するのです。それが広宣流布の大闘士です。
悪人は「悪鬼入其身(悪鬼其の身に入る)」(法華経勧持品第十三の文、法華経 p442)だが、その反対に、いわば「仏入其身」とならねばならない。
広宣流布こそ仏の「毎自作是念(毎に自ら是の念を作さく)」(寿量品の文、法華経 p510)です。この一念をともにしていこうとするとき、仏界が躍動し、はじめて真の十界互具・一念三千となっていく。
凡夫の九界の身に、御本仏の生命がわいてくる。十界互具です。
「一念に億劫の辛労を尽くせば本来無作の三身念念に起るなり」(御書 p790)です。
“億劫の辛労”です。広宣流布のために、極限までの辛労を尽くしてこそ、仏界は太陽のごとく輝いていく。この御文にこそ、十界互具の要諦があるのです。
「死後の生命」への証言
■ 臨死体験を考える

須田: アメリカのヨシマチ副理事長の体験を聞きました。1993年の四月十日、アメリカSGI本部で心筋梗塞で倒れたのです。急いで近くの病院に運ばれました。
胸が何かに圧迫されるように痛く、ベッドで「採血をします」と言われて「OK」と返事をしたところまで覚えているのですが、その後、急に意識が無くなりました。気がついたら、医者たちが自分を見下ろしてのぞきこみ、婦長が手を握っていた。この間、約二十秒ぐらい心臓が停止していたそうです。
ヨシマチさんは、その間に不思議な体験をしました。意識が無くなった後、自分が真っ暗な闇の中に立っているというのです。音もまったくない沈黙の世界です。痛みもない。心臓の異常も何も感じない。自分が倒れたという意識もなかった。“何でこんなところにいるのだろうか”と思いました。足を見ようとすると、足は見えるが地面は見えない。靴ははいていなかった。ぐるっと周囲を見ました。右に首を廻しても何も見えない。今度は左を振り向くと、肩ごしに左の後ろの方に小さな光が見えました。遠くの方です。まるで壁に穴があいて、そこから漏れているような淡い感じです。
まっすぐ光の方へ歩きました。だんだん光が強くなってきました。光はトンネルでした。その光のトンネルをくぐると、ロサンゼルスのアメリカSGI本部の講堂に出たというのです。講堂では、いつも演壇の脇で運営をしていました。そこに自分がいる。会合が行われていました。思わず右を見ると、メンバーが笑顔で座っています。
壇上を見れば池田先生がスピーチをされていた。にっこりと、微笑んでおられた。あれ、これは一月二十七日に行われた全米総会の会合だと思った時、目が覚めて、皆がベッドの上にいる自分をのぞき込む場面に変わったそうです。

名誉会長: その総会のことはよく覚えています。彼は青年部長だった。その直前に日本にいるお母さんを亡くしていた。しかし彼は、「池田先生とともにアメリカで戦うことが、母への最高の供養になります」と言って、厳然と青年部をリードしていた。