投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月13日(日)07時55分17秒     通報
名誉会長: 「人界に十界を具する」 —- 私たちが当然のことのように思っている、このことが、実は「十界互具」の思想のポイントです。
すなわち、宇宙にも十界がある。宇宙全体が十界を具えた大生命です。そのうちの人界に今、我々は生まれた。宇宙の中の、この人界にも十界が具わっているし、同じく畜生界にも十界が具わっている。餓鬼界にも修羅界にも、十界すべてに、それぞれ十界が具している。

遠藤: 宇宙全体としての十界互具ですね。

名誉会長: そこで、何のために「十界互具」が説かれたか。それは、あくまでも「人界に十界が具わっている」ということを教えんがためです。なかんずく「人界に仏界が具わっている」ということ、凡夫がその身そのままで成仏できるのだということを教えんがためです。

斉藤: それを知るのが「観心」ということですね。「観心とは我が己心を観じて十法界を見る是を観心と云うなり」(御書 p240)と仰せです。

須田: 確かに「観心本尊抄」でも「人界所具の十界」なかんずく「人界所具の仏界」に焦点をしぽって論じられています。

遠藤: 十界互具が説かれた目的が、はっきりしました。その意味では「『地獄界所具の餓鬼界』と『餓鬼界所具の地獄界』の違いは」というような議論は、十界互具の本質から、かけ離れてしまいますね。

須田: それでは例の“千界問題”(笑い)はどうなるでしょうか。

斉藤: 「人界所具の地獄界所具の菩薩界」云々の話ですね。

須田: 結構、多くの人が混乱していると思うのですが。

斉藤: 確かに、宇宙に十界があり、そのうちの一界の衆生が、それぞれ十界互具(百界)の当体だとしたら、宇宙全体では千界になってしまいます。しかし、これも十界互具が説かんとしていることを誤解していると思います。つまり、ポイントは、各界のどの衆生をとっても、そこに十界が具わっているという「不思議」にあります。
本来、十界のうちの一界は“部分”のはずです。その“部分”に十界という“全体”が具わっているという不思議な生命の実相を言わんとしているのです。それが「互具」です。互具という実相に意味があるのであって、それは百界まで言えば十分なわけです。

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「御義口伝」から
「我実とは釈尊の久遠実成道なりと云う事を説かれたり、然りと雖も当品の意は我とは法界の衆生なり十界己己を指して我と云うなり」(御書 p753)

(経文にある「我実成仏已来」の)「我実」とは、釈尊が久遠に実に成道した(五百塵点劫の昔に成道した)ということを説かれているのてある。しかし、この寿量品の意は、この「我」とは法界(宇宙)の一切衆生のことである。すなわち、十界それぞれの生命活動を指して「我」というのである。
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