投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月12日(土)19時15分49秒     通報
■ 十界の「互具」は法華経だけの法門

須田: これまで十界のそれぞれを論じていただきましたが、ここでは、十界の「互具」がテーマです。

名誉会長: 御書には、「十界」は法華経以前の経典でも説かれたが、その「互具」を説いたのは「法華経」だけであると仰せです。
〈「法華経とは別の事無し十界の因果は爾前の経に明す今は十界の因果互具をおきてたる計りなり」(御書 p401)〉
法華経の法門の要のなかの要だ。それだけに、短い時間で語り尽くせるものではない。そこで、まず「互具」とは何か。「互具」がわかれば、人生は、どう変わるのか。そこを中心に、語り合ってはどうだろうか。

須田: はい。「十界互具」とは、文字通り言えば、「十界のそれぞれに十界が具わっている」ということです。「十界の、どの一界にも他の九界が具わっている」とも言えます。
そのことを“10×10”で「百界」とも表現します。
〈「十界互具と申す事は十界の内に一界に余の九界を具し十界互に具すれば百法界なり」(御書 p400)〉

遠藤: 十界論は、私たちの生命状態を説明する場合によく用います。時々、質問を受けるのは、「十界が互具して『百界』になると、生命状態は百種類あることになるのですか」ということです。
「地獄界所具の仏界」「人界所具の仏界」等の言い方をします。もし百種類にわかれるとすれば、「たとえば『地獄界所具の餓鬼界』と『餓鬼界所具の地獄界』では、どう違うのか」とか、いろいろ疑問が出てきます。

須田: また、人間に生まれたこと自体は「人界」と、とらえられます。そうすると、(1)人間として生まれ、(2)病気で地獄の苦しみを味わい、(3)菩薩の使命に目覚めた時、「『人界所具の地獄界』所具の菩薩界」となる。これだと“10×10×10”で、千界になってしまいます。

斉藤: それでは、一念三千ではなく“一念三万”になりますね(笑い)。

名誉会長: 基本的な勘違いがあるような気がする(笑い)。まず、これまで、私たちの人生を例に「十界」論を学んできたが、これ自体、「人界に十界を具する」ことが大前提になっていたわけです。

須田: たしかに、その通りです。

名誉会長: 実は、これ自体が、法華経以外では考えられないことなのです。

斉藤: 爾前教では、十界が説かれても、それは、いわばバラバラの存在でした。ですから人界の衆生が仏界に至るには、人界の生命を捨てるしかありません。歴劫修行し、九界の低い境涯を捨てて仏になれると説いたり、あるいは極楽浄土などの遠い —- この娑婆世界とは別の国土に死後、生まれる(往生する)と説いたりしました。