京都乃鬼新聞⑤ 投稿者:京都乃鬼 投稿日:2015年 2月10日(火)22時37分59秒   通報

京都乃鬼新聞
紙上座談会⑤
2015-2-10

編集長:前回の宗門との仮想問答は大変好評で反応が凄くありました。その中のご意見で「男子部を育成する為にも、黄金柱の壮年部がドンドンと鍛えて欲しい」とありました。

赤鬼:そうだな。我々壮年部も「生涯青春」で仏敵日顕宗との戦いに全力で取り組んでいく決意だ。

青鬼:教学の研鑽は日々の積み重ねだ。男子部より法論の経験も豊富な我々壮年部が男子部に為に、ひとつ人肌脱ごうじゃないか!

編集長:ここでは、敢えて仮想問答の敵側の論陣を張って男子部を鍛えてまいりましょう。

赤鬼:そうだな。我々が初めから「答え」を言えば簡単だが、ここは敢えて男子部諸君に考えて欲しいからな。

橙鬼:そら、エエコトやで。
創価学会の教学は「剣豪の修業が如く」やから、お互い真剣に考えていこうや!

編集長:では、早速始めましょうか。私の手元に男子部が作成したペーパーがあります。これを「教材」にしていきたいと思います。

『聖人御難事には「余は二十七年なり」(御書1189㌻)と、出世の本懐を遂げられたと仰せになっている。しかしながら、出世の本懐の内容そのものは、全く示されていない。
また他のどの御書にも、弘安2年の御本尊が出世の本懐であるとは述べられていない。 』
『したがって、「出世の本懐」=「弘安2年の御本尊」=「根本の本尊」とはいえない』と男子部は述べています。

紅鬼:でも、今迄創価学会は、この聖人御難事にある「大聖人の出世の本懐」が、この弘安2年の御本尊としてきた。

紫鬼:そうだ。何度も教学試験にも出ていたな。それを根拠に弘安2年の御本尊は大聖人御図顕の御本尊で真筆であるとしてきた。

紅鬼:しかし「どの御書にも、弘安2年の御本尊が出世の本懐であるとは述べられていない。 」との男子部の主張は、嘗て小樽問答などで身延派が言っていた事と同じになってる(鬼笑)

藍鬼:池田先生が先頭となって戦ってきた小樽問答に対し、現在の男子部は、どう歴史的整合性を合わせるんだ?

紫鬼:教義は単なる論理ではない!歴史を背負っているのだ!自分たちが過去の歴史においてやってきたことには落とし前を付けないといけない!

編集長:話を先に進めますが、そもそも日蓮大聖人御図顕の御本尊は一体何体あるでしょうか?

青鬼:そうだな、山中喜八氏の研究では123体あるとなっている。

編集長:「御本尊集目録」ですね。創価学会はこれを踏襲しているのでしょうか?

青鬼:いや、この山中喜八氏の「御本尊集目録」には大石寺にある弘安2年の御本尊は入っていないんだ。

橙鬼:ほな、山中喜八はんの研究では、弘安2年の御本尊は大聖人の真筆となってへんのんやね?

青鬼:そうだ。

赤鬼:しかし男子部は、「末法の衆生のために日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅と、それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』である。」とも書いてる。

橙鬼:ほな、創価学会が言う「日蓮大聖人御自身が御図顕された十界の文字曼荼羅」とはどの範囲なんや?

虹鬼:そこがハッキリしていないんだ。

橙鬼:それともうひとつ。
男子部には荷が重い質問かもしれんけど、これも剣豪の修業や。頑張れ!

ワシからは、「それを書写した本尊は、すべて根本の法である南無妙法蓮華経を具現されたものであり、等しく『本門の本尊』である。」の中の「それを書写した」とあるけど、「誰が書写した本尊」までが等しく本門の本尊になるんや?

青鬼:まさか大石寺の歴代住職の書写は全て「本門の本尊」と言うのか?

橙鬼:どうやろな?
ま、創価学会が認定するんやし、創価学会にとって都合がエエ大石寺の住職の書写本尊と限定するんかな?(鬼笑)

編集長:その答えも良いですが、その場合、また違う想定問答が待っていますよね(笑)

橙鬼:極端な例えやけど(笑)会長が書写した御本尊さえ創価学会に認定されれば「本門の本尊」なんかなぁ?(鬼笑)

紅鬼:何れにせよ、大聖人御図顕の御本尊の範囲さえ創価学会として決まっていないのに、どうして、その真筆御本尊を、「誰が書写」した本尊も「等しく本門の本尊」と言えるのか、全くわからないな。

編集長:今日はここまでにしましょうか。

橙鬼:まだまだ男子部を鍛えなアカンし、ワシら、すぐには答えを言わへんけど、男子部が真摯に教えを請うて来たら、教えたってもエエけどな(鬼笑)

つづく