投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 9月12日(土)00時53分26秒     通報
日本の創価学会の基盤は完成し、これからは守成の時代に入ります。できあがったものを、いかに維持し、発展させていくかが戦いとなります。そしてこれこそが最も困難な戦いであることは、貞観政要を繙けば明らかです。

「一旦、天下を手中に収めてしまえば、気持がゆるんで、自分勝手な欲望を抑えることができなくなります。人民が平穏な生活を望んでも、賦役の止むときがありません。人民が食うや食わずの生活を送っても、帝王の贅沢三昧のために労役が次から次へと課されます。国家の衰退を招くのは、つねにこれが原因になっています。」

創業期は緊張感もあり、張り詰めた空気の中で戦っていくので、自分の欲望どころではない。群雄割拠の中を勝ち抜かねばならないシビアな戦いです。創価学会は創価三代の尽力により、勝利を収めることができました。しかし、問題はこれからです。創価三代の、「血と汗と涙」で創られた創価学会を守っていくことは、とてつもなく大変です。仏教史をみても、仏法を滅ぼすのは、愚かな弟子であることが重大な教訓ですので、まずは「これからが大変である」ことを意識するところからが始まりでしょう。

守成期の戦いの肝は、「内部の腐敗堕落との闘争」です。戦う方途はすでに池田先生がスピーチに残してくださっています。これからの創価学会に必要なことを「内部の悪を責める」、「体制側の在り方」、「現場の在り方」の三つの観点から論じていきたいと思います。

<内部の悪を責める>
批判には健全な批判と、悪意の批判の二つがあります。悪い幹部を糾弾し、諌めることは健全な批判であり、組織攪乱のための批判は、悪意の批判です。健全な批判は自浄作用を生み、仏法を護る働きとなるが、悪意の批判は仏法を壊す働きとなります。先生は、「どんな役職や、立場であろうと、間違っていれば、はっきり言っていくべきである」と厳然と指導されているのは、「健全な批判をせよ」ということです。愚かな弟子だと、健全と悪意の批判をごっちゃにし、批判自体がダメであると考えてしまい、それはかえって内部の悪を増長させ、善人を苦しめることになります。健全な批判なくして、内部の腐敗堕落を防止する手立てはなく、これをやっていくことが守成の戦いの肝となるので、意識を切り替えていく必要があります。

<体制側の在り方>
健全な批判の声に対してどのように対応するか。まずは健全か、悪意の批判かを見極めていかなくてはなりません。増上慢では、すべてが悪意に感じてしまうかもしれませんので要注意です。一方的で話を聴かない姿勢だと危ないのは言うまでもないでしょう。愚かであると、そういう声をつぶすことばかり考え、それ自体がもはや腐っている証拠であることを自覚しなければなりません。体制側は、打ち出しやシステムを作る重大なポジションであり、多くの会員に影響を与えます。情報化社会である現代においては、悪事は露呈し、隠すことはできません。今までは情報自体をシャットアウトし、ごまかすことができましたが、ネットの普及により、瞬時に全世界とつながることのできる世の中です。20世紀の意識では到底対処できず、偽物は淘汰されます。より一層、健全な批判の声に耳を傾け、「納得と共感」を生むことのできる具体的な行動が求められます。それでこそ本物であり、守成の時代の広宣流布を進めるための最低条件です。

<現場の在り方>
内部の腐敗堕落に対して、健全な批判をすることをスタンダードとし、「事なかれ主義」を排除していくことが大事になります。その上で、体制側がいかにおかしかろうと、根本である、「一人を大事にする戦い」を続けていくことです。先生が勇退されてから、功労者の家庭訪問をされたことは、これこそが信心の原点であり、基本だからです。今まで以上に一人を大切にすることが、心の時代である21世紀の戦いであり、これなくしては創価学会の発展はありえません。体制側が腐敗堕落するのに連動し、現場が腐敗してしまったら、それこそ衰亡するしかありません。創価学会最後の砦が現場であり、何があろうと死守していかなくてはならないのです。そのためには、一人ひとりが強く賢くならなくてはなりません。強く賢くとは、「自分の頭で考える」ことが出発点であり、先生の指導を咀嚼し、血肉にしていくことです。

以上の三つが備わってこそ、これからの守成の時代の荒波を越えていくことができるのではないかと思います。思索の糧にしていただければ幸いです。