投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月10日(木)13時42分17秒     通報
■ 「自他不二」だから菩薩道を

名誉会長: 世の中には、無数の「心の傷ついた人」がいる。そういう人たちに癒しの手を差し伸べなければならない。そうすることによって、実は自分自身が癒されていくのです。人は何かあると、「自分ほど不幸な人間はいない」と思いがちだ。自分を憐れみ、自分のこと以外、何も考えられなくなってしまう。自分の苦しみにとらわれ、不平と失望の中で、生命力を衰えさせてしまう。
その時、人に「生きる力」を与えるのは何か。それは、自分以外の誰かのために生きようという「人間の絆」ではないだろうか。エゴイズムに閉じこもっていては幸福はない。打って出て、「人のため」に行動する時、その時に、自分自身の生命の泉も蘇生していくのです。

遠藤: 心理学的にも、「思いやりが、自分に心を癒す」ことが強調されています。
ストレスや不安に苦しむ人々は、自分自身の苦しみを果てしもなく考えて時間をすごしてしまいます。それを、集団の場を設けて、他人のことを考えたり、助けてあげるようにエネルギーを向けさせていくという療法もあります。

斉藤: 自分と同じように苦しんでいる人の面倒をみるということですか。

遠藤: そうです。その人の話を聞いてあげたり、話し合ったりできる雰囲気をつくっていきます。そうすることによって、面倒をみてもらったほうはもちろん、みたほうの人も、以前より、ぐっと「生きる力」が強まるというのです。

須田: 学会活動でも、人を激励したら、自分も元気になりますからね(笑い)。

名誉会長: 学会は、ありがたいところだね。 人の面倒をみた分だけ —- つまり、人の「生きる力」を引き出した分だけ、自分の「生きる力」も増していく。人の生命を拡大してあげた分だけ、自分の生命も拡大する。これが菩薩道の妙です。「利他」と「自利」の一致です。
利他だけを言うと、傲慢になる。人を救ってあげているという偽善になる。自分のためにもなっていることを自覚してはじめて、「修行させてもらっている」という謙虚さが出る。自他不二です。ゆえに菩薩道しかないのです。

遠藤: 「人を助けることが自分を助けることになる」ということですね。
ナチスの強制収容所での話です。あの地獄で生き残ったある人は、一つの規則にしたがって生きていたといいます。
「私たちのグループはすべてのものをみんなで共有していました。そして、グループのメンバーがひとりで物を食べ始めたとき、それがその人の死に始まりだということがわかっていました」(ジュリアス・シーガル著『生き抜く力』小此木啓吾訳(株)フォーユー発行)

名誉会長: すごい言葉だ。わかります。極限状態の中での本当の人間の声だ。

斉藤: 人と分かち合う心を、なくしたとたんに —- 死が始まっていった。恐ろしい真実の証言です。

名誉会長: もちろん強制収容所での体験は、体験しなかった人間が軽々しく論じられるものではありません。それほどに重い。であるからこそ、人類への宝の証言であることも、また事実でしょう。

遠藤: はい。多くの人が生涯にわたる心理的障害を背負いましたが、ある生存者の一人は、戦争が終わってからも、その体験に苦しむことはなかったといいます。その理由について聞かれると、アウシュビッツで友情の本当の意味を学んだからだというのです。
「子どもの頃、知らない人たちが自分たちの身体を使って強い風を遮ってくれました。彼らは、“自分”以外に使えるものを持っていなかったからです」(同)
もちろん、「動物のような状態に陥ってしまった」人たちもいました。無理もありません。その一方で、自分の体を風よけにして子どもたちを守った人々もいたのです。

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