投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月10日(木)07時46分24秒     通報
■ 子どもたちに、もっといい時代を

須田: 1997年は戸田先生の「原水爆禁止宣言」から四十周年です。
〈1957年(昭和三十二年)九月八日、横浜・三ツ沢競技場の“若人の祭典”で、原水爆実験に対して「私はその奥に隠されているところの爪をもぎとりたい」と宣言。世界の民衆の生存の権利を脅かすものは「魔もの」であり、「サタン」であり、「怪物」であると叫んだ〉
先ほど「自分中心の心の行きつくところは地獄界」と言われましたが、戦争と原爆は、その象徴だと思います。
その邪悪な心を変えるために戦った一人の母を紹介させていただきたいと思います。
広島で被爆した、山下朝代さんという方です。朝代さんは、昭和十九年(1944年)に結婚し、翌年、出産を控えていた時に被爆しました。
爆心地から二・五キロメートル。倒壊した家屋の下敷きになるところを、寸前で逃れたものの、近くの学校へ避難する途中、“黒い雨”に打たれ、全身ずぶぬれになってしまったのです。
この雨水を飲んだ人は、数日後に髪の毛が抜け、下痢を起こして亡くなったといいます。それが放射能を含んだ雨で、どんなに恐ろしいものであったか、当時の朝代さんは知るよしもありませんでした。四ヵ月後に長男を、三年後に次男を出産。朝代さんは、幼い子どもたちに平和の大切さを語って聞かせました。
「お母ちゃんは、おまえたちが大人になっても、戦争に行かんでいい世の中をつくっていくよ」。食事をしながら、洗濯をしながら、布団の縫い替えをしながら —- 。
長男が小学四年生のころ、自宅を開放して、親しいお母さん方との勉強会が始まります。教材のテーマは「女性史」「家庭教育」「歴史と人間」等々。週一回、熱心な討論を重ねながら、原水禁運動、生ワクチンの署名運動など、平和と人権と教育改革の行動に、地道に参加していきました。五年後には、勉強会は、二十数人の母親が集まり、昼の部と夜の部にわかれて学習するまでに発展したのです。

遠藤: “草の根”の運動ですね。

須田: そうなんです。「お母さんの活動も大変なんだね」と尋ねる長男に、朝代さんは、こう答えたそうです。
「戦争ををなくしてしまう活動だからね。被爆した人たはの苦しみが今もつづいているんよ。原爆を落とされた広島の人たちが先頭に立ち上がらなくちゃね。どんなに大変でもやらなくちゃならんのよ」
しかし、この間、朝代さんの体は、刻々と原爆症によるガンに蝕まれていました。昭和三十七年(1962年)の夏に入院し手術、翌年二月に再入院し、夏に手術。ある日、高校生の長男が病室を訪ねると、朝代さんは古い寝巻を丁寧に畳んでいるところでした。
「そんなものどうするんだい。捨ててしまえばいいのに」
「これはね、あんたがお嫁さんをもらって赤ちゃんが生まれたとき、おしめに使うんよ」
「あんたたちの子どもは、どんな時代に生きるんかねえ。それを見届けんことには死ねんよ」
「さぞ、うるさいおばあちゃんになるんだろうな」
「おばあちゃんたちが苦労して、こんな平和な時代を作ったんよ、と言えるようになりたいね」 —- 。
翌三十九年の五月に三度目の手術。結果は思わしくなく、六月十六日、枕もとに集まった家族や親族の一人一人にお礼を言い、最後まで人々を気遣いながら、息を引き取られました。三十九歳でした。ガンは肺、肝臓、子宮に広がっていました。

斉藤: 原爆の“黒い雨”のせいですね。

須田: “母たちの学習会”は、その後も二十年間にわたって続けられました。反戦・反核、平和教育への実績は、今でも高く評価されています。
ある時、平和運動のプラカード作りを手伝いながら、長男が母に言いました。「戦争は悪いことだと、だれもが知っているのに、どうしてして起こるんだろう」。
「人間って、いつのまにか戦争の起こるほうへ流されていくんよ。だから、こわいんよ。ユネスコ憲章のなかにも、こんな言葉があるけど、学校で習わんかった?『戦争は人の心の中に生まれるものであるから、人の心の中に平和の砦を築かなければならない』」
「戦争は人の心の中に生れるって、どういうこと?」
「そりゃ、お互いに憎み合ったり、自分さえよければええと思うたり、他人の不幸をみても何にも思わんかったり、そういう心が、戦争につながるんよ。そいう心をなくすることが、平和の砦を築くということなんよ」
「だけど、どうやってなくすの?」
「お母ちゃんらにも、それがようわからんのよ —- 」
朝代さんは、そう言って、少しため息をついたそうです。

斉藤: 人間の「業」である悪の心を、じっと見つめておられたんでしょうね。現実と深く格闘しておられたから、「心を変える」難しさが身にしみておられた —- 。

須田: 長男の義宣さんは、朝代さんが亡くなって二年後、仏法に出合い、入信しました。胎内で被爆したことによる「死の恐怖」を乗り越え、広島青年部の反戦出版の活動も大きく推進しました。現在は、壮年部の中核の一人として、広島の同志とともに、広宣流布の活動に、邁進されています。

名誉会長: よく存じ上げています。親子一体 —- 永遠の母子だね。お母さんも、さぞ喜んでおられることでしょう。

斉藤: 人々の「心の中」に、平和の砦を築きたい —- その母たちの願いも、広宣流布という民衆運動の大河に、大きく包まれているのですね。