投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 9日(水)18時56分8秒     通報
■ あえて苦労を —- それが菩薩

斉藤: それが菩薩ですね。

名誉会長: 菩薩です。あえて苦労していこう、法のため、人のため、社会のために、あえて重荷を背負っていこうという「心」です。「自分中心」ではない。

須田: 自分中心は、六道であり、二乗もそうです。

遠藤: 菩薩界というのは、「人のため」「法のため」に自分を捧げている。二乗までと正反対であり、人間の生き方の根本的転換です。
「菩薩界とは六道の凡夫の中に於て自身を軽んじ他人を重んじ悪を以て己に向け善を以て他に与えんと念う者有り」(御書 p433)とあります。
「自分を軽んじて、他人を重んじる」「苦しいことは自分が引き受け、楽しいことを他に与えようとする」。これは、理想の人間像であり、指導者論ですね。

須田: 人間の本能のままの生き方とは正反対です。今の社会は「自分を重んじて、他人を軽んじ」「苦しいことは人に押しつけ、楽しいことは自分が貪る」のが当たり前のようになっています。

名誉会長: その通りだ。だから創価学会が、どれほど社会にとって必要か。学会員の生き方こそが、闇の社会を照らす太陽になっている。

遠藤: ポーリング博士が言っておられた「(十界のうち)ナンバー・ナイン(第九)の菩薩界が人類を救う」ということですね。
〈ポーリング博士(1901~94年)。現代化学の父。ノーベル化学貰・平和賞受賞・名誉会長と対談集『「生命の世紀」へ探求』(読売新聞社刊)を発刊。名誉会長の米クレアモント・マッケナ大学での講演(九三年一月)にも、わざわざ駆けつけ、講演をたたえて「ナンバー・ナイン」の話をした〉
■ 「利己主義の社会」の底流を変える

名誉会長: そうです。「自分中心」の心の行きっくところは地獄界です。人生においても、社会においても。「法のため」「人のため」の心の行きつくところが仏界です。いな因果倶時で、その心にすでに仏界が宿っている。
社会の底流を「自分中心」から「人間愛」へ、「利己主義」から「慈悲」へと変えていくのが広宣流布の戦いです。
今、一番、必要な、一番、根本の貢献をしているのです。その誇りをもってもらいたい。正義を語り抜いてもらいたい。「菩薩界」といっても、特別なことではない。
大聖人は「無顧の悪人も猶妻子を慈愛す菩藤界の一分なり」(御書 p241)と仰せだ。
〈「他人をまったく顧みることのない悪人でも、妻子を慈愛する。これは人界に具わる菩薩界の一分である」〉
家族愛であり、子を思う親の愛です。それを自分たちだけのエゴではなくて、もっと大きく広げたところに菩薩界の社会がある。

遠藤: 広島の「世界平和祈願の碑」(1997年六月、完成)を思い出します。六体のブロンズ像(フランスの世界的彫刻家・デルプレ氏作)の中に「後継の像」がありました。

名誉会長: 子どもを抱いている母の像だね。

遠藤: はい。後継の子を抱き、高く掲げる母の像です。
「今より、もっと素晴らしい社会を、あなたに」と語りかけているような表情が印象的です。

斉藤: その心が、菩薩界の一分ですね。