投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 9日(水)07時27分27秒     通報
■ 「生命の大長者」の人生を

名誉会長: 「天界」の衆生とは、物心ともに恵まれた「長者」と言えるでしょう。
“長者にも三種ある”と大聖人は、天台の言葉を引いて言われている。
「世間の長者」「出世の長者」「観心の長者」です(御書 p818)。
くわしくは略すが、「世間の長者」とは、天界の長者と言えるでしょう。人格的にも優れた、富豪とか、知識人とか。
「出世の長者」とは「仏法の長者」であり、仏のことです。ありとあらゆる福徳を備えている。そして、そういう仏に、凡夫がその身そのままでなれるのだというのが「観心の長者」です。

遠藤: 「観心の本尊」を受持し、修行する人は、仏の万行万徳を譲り受けるということですね。

名誉会長: 私どもが目指すのは、三世に栄えゆく「観心の長者」です。我が心を観じて、そこに、仏界という、くめども尽きぬ「福聚(福の聚)の海」を見つけた長者です。法華経による「生命の大長者」が、私たちの人生なのです。

須田: ここにこそ「欲望社会」の行き詰まりを超えゆく根本軌道があると思います。

名誉会長: 次は、「菩薩界」「仏界」だが、これは「十界互具」論の上から見ていったほうがいいと思う。

斉藤: はい。いよいよ法華経の法華経たるゆえんである「十界互具」論に、求道の旅は入っていきます。
十界互具〈上〉
菩薩界と仏界
■ 「自己中心」の闇をたたき破って仏界の太陽は昇る

斉藤: 十界論を論じていただきましたが、読者から大きな反響がありました。その声を少し紹介させていただきます。
多かったのは、仏法対話への意欲を新たにしたという声でした。例えば、「大変にわかりやすく、納得しました。ますます確信を深めて、大いに十界論を語っていきます」と。
また、境涯論としての十界論に改めて注目された方々も多かったようです。「境涯論という人生の鏡を知ることで、これからの人生をもう一歩深く歩めそうな気がします。また、そうしていきます」「読んでいくうちに、境涯が広がっていくようです」等々と。

名誉会長:  素晴らしいことだね。人間は、成長しないといけない。いわんや指導者は、これでいいと思ってはいけない。
「自分はこれでいいのか」「生活はこれでいいのか」「地域はこれでいいのか」。一つ ひとつ、きちっと見ていくことです。それでこそ、法華経という「人間革命の経典」を学んだことになる。
本来、人間ほど弱いものはないかもしれない。人間ほど醜く、残酷なものはないかもしれない。その反面、人間は「心」一つで、いくらでも強くなれる。いくらでも崇高になれる。心には色もない、形もない、長さもない。しかし心は無限大に広がっていく。
今の自分の境涯 —- これは、いわば仮諦の仮の姿です。実は、変化、変化で、一瞬も止まっていない。

遠藤: 止まっていないと見るのが「空諦」ですね。