投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 8日(火)20時42分49秒     通報
■ “死を覆い隠す”現代文明

名誉会長: そこで、天界の問題点は、生老病死という苦悩の現実を「覆い隠そう」とする働きです。
一時的な喜びがあるゆえに、かえって人生の底にある大問題から目をそらさせる傾向がある。かえって地獄界のほうが、人生の実相をむき出しで見つめているために、四聖への道を、ぱっとわかる場合がある。

須田: 確かに“一見、幸せな人”ほど信心しにくいということがあります。

斉藤: 物質的豊かさや精神的喜びは貴重です。しかし、その喜びさえあれば、生死の苦悩も乗り越えられるのか。残念ながら、答えは「ノー」です。

遠藤: 巨匠が一心不乱に画筆を運んでいる時のような超絶した境地。これに立てば、永遠の生命を感得できると主張した宗教学者がいました。
「生に対する執着は、もはやこの心境を乱すことはできない。死の恐怖も、入ってくる余地がない」「生死の問題は、おのずから氷解し去る」と。ところが、その博士自身が、ガンの宣告を受けます。保証された命は、あと半年。すると、想像だにもしなかった心の動きが、博士を揺さぶります。

名誉会長: 岸本英夫さんですね。有名です。

遠藤: 「私は —- 今さらながら、人間の生命への執着の強さを知った。ひとたび、生命が直接の危険に曝されると、人間の心が、どれほど、たぎり立ち、たけり狂うものであるか。そして、いかに、人間の全身が、手足の細胞の末に至るまで、必死で、それに抵抗するものであるか」(『岸本英夫集 第六巻 生と死』渓声社)
そして、十年にわたる闘病が始まります。「はじめのころは、私にはガンという心のショックに耐えて、自分を精神的に支えてゆくためには、その方法として、ガムシャラに働くことよりほかに、何もなかった。
そこで私は、手負いのイノシシのように働いた。強く生き、忙しく働くことにより、それから生ずる生命の実感によって、襲いかかってくる死の恐怖に抵抗しようとした。『よく生きる』ということが、唯一のたよりであった。それによって死ということから、できるだけ目をそらそうと考えた —- しかし、死の暗闇は、考えまいとすればするほど、大きな口を開いて私に迫ってきた」(同)
亡くなる一年前も、博士は本当に多忙で、息子さんが、ちょっと話をしたくても、「明後日の朝十分ほどあけておいて」と、予約しなければならなかったといいます。
博士は、死の数ヵ月前、こう綴ります。「癌というような思いもかけない病気のために、生命飢餓状態におかれ、死の暗闇の前に立たされた」(同)
「それから、十年近くも癌の再発と闘い続けている間というもの、その生命飢餓状態のすさまじさを身をもって思い知ったのである」(同)

名誉会長: 働いても働いても、考えても考えても、満たし切れない「生命飢餓状態」 —- 自身の死を真剣に見つめた人ならではの表現でしょう。

須田: ここまで真筆に「死と向き合う」勇気は、なかなか出ません。

名誉会長: 博士は“死を覆い隠そうとするもの”を、指摘していたね。

遠藤: はい。その一つは「生活水準の向上」です。私たちは、努力して働いて、豊かな生活、便利な暮らし、快適な環境を手にいれました。医療技術は進歩し、平均寿命も伸びました。その結果、「死」というものが、どんどん日常生活から遠ざかっている —- と。

名誉会長: そうした文明の恩恵は、広い意味で、社会の「天界」の側面と言ってよいでしょう。死から目をそらさせる —- 博士は、確かこれを「すこしも悪意のないごまかしである」と同時に「もっとも深刻なごまかしである」と論じていた。

遠藤: はい。現代文明は、死を見つめる必要などないかのように「ごまかして」いるというのです。

名誉会長: しかし、その「ごまかし」社会の根っこは、明らかに腐ってきている。
例えば日本では、年に一万人の方が交通事故で亡くなっているが、自殺者は、その二倍にのぼる。また人間の生き死にに無関心で無感動な、恐るべき感性が世代を超えて広がっている。慄然とする凶悪な事件も多い。

斉藤: 「心の死」と「生命感覚の死」が広がっている気がします。

名誉会長: 生死の根本問題を、ごまかし続けてきた“つけ”が、いろんなところで噴き出している感がある。