投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 7日(月)07時04分29秒     通報
■ 「死」の淵から見た「生」の輝き

須田: 「死」を見つめることによって生き方が変わる。学会員の中にも、そうした体験が、たくさんあります。
かつて富山県の県長として活躍された佐藤実さんの体験を紹介します。和五十四年(1979年)六月。佐藤さんは、自分が上顎ガンの末期と聞かされました。富山県の病院から東京へ転院した、その日でした。

斉藤: 医師から聞いたのですか。

須田: 先に医者から聞いていた奥さんが伝えたそうです。 新宿の街を、二人で歩きながら —- 。

遠藤: 聞いたときは、ショックだったでしょうね。

須田: 佐藤さんにも予感はありましたが、やはり愕然とした。しかし、なぜか恐怖感はわいてこなかった。不思議でした。それどころか、聞いたとたん、周囲が、ぱーっと明るく見えた。梅雨の合間の日ざしを受けて、アスファルトが輝いてみえる。木の緑は、こんなにも鮮やかだったのか。街並みは、こんなにきれいだったのか。歩く人々に語りかけ、抱きしめてあげたいような衝動が胸に突き上げたといいます。

遠藤: それは、すごい。

須田: その一方で、「死刑台に上がっていく」ような戦慄も感じながら、佐藤さんは逃げなかった。全身で死魔との格闘を始めます。
八時間と言われていた手術は二時間半で大成功に終わりました。歯と歯茎と上顎が切除され、毎日、口の中のガーゼを交換するのは、気絶するほどの痛みでした。それでも、かすむ目で御書を開き、一節、一節を生命に刻んでいきます。
当初、言語機能障害が危ぶまれていましたが、しやべることがリハビリです。本人は「学会活動が一番のリハビリになった」と語っていたそうです。それにつけても気がかりなのが富山の同志です。東京の病院に転院してから一度も戻る機会がなかった。
ある日、池田先生から「あれから富山に行っていないのだろう。一緒に行こう!」と言われ、北陸指導に随行しました 先生は北陸に着くや、開口一番、「きょうは佐藤君を連れてきたよ」と皆に紹介してくださった。佐藤さんは、心で男泣きに泣いたそうです。
以来、第二東京でセミナーや個人指導など、新たな天地での活動を開始します。

名誉会長: 立川文化会館で何度も会った。弾むように歩いていたのが忘れられない。今、生きていることが、うれしくて、うれしくてしょうがない、という感じだった。

須田: 佐藤さん自身もこう語っています。「死との境を経験しなければ、御書や先生の指導の本当の深さがわからなかった。生きるということは戦いだと。ところがそこに気づかない人がなんと多いことか。自分には広布の仕事が残っている。時間が惜しい」と。

斉藤: 確かに多くの人が、死を前にして初めて、「今まで自分は何をしてきたんだろう」「何で、元気なうちに、もっと真剣に生きなかったのか。本気で信心しなかったのか」と気づくといいます。

名誉会長: そこだよ。“臨終只今にあり”と思って、信心しなければ悔いを残す。健康で動けるうちに、広宣流布へ尽くしていかなければ未来永劫に後悔です。

須田: 佐藤さんは、平成四年(1992年)に亡くなるまで、個人指導に全力投球しました。「もう、今世で二度と、この人に会えない。そう思うと、その人に、いろんな御書の一節を贈りたくなる」と。
なかでもガンの末期と聞くと、他人事とは思えませんでした。佐藤さんに激励された人は全国にいます。リポート用紙に御書をたくさん書き抜いて渡しました。
「今まで生きて有りつるは此の事にあはん為なりけり」(御書 p1451)、「このやまひは仏の御はからひか」(御書 p1480)、「命限り有り惜む可からず」(御書 p955) —- 。
もらった人は、前から知っていたつもりの一節一節が、新鮮に心に響いたそうです。

斉藤: 素晴らしい体験ですね。

名誉会長: 人生の本当の尊さを教えている。生と死の断崖に臨んだとき、地位も虚栄も財産も何の役にも立たない。ぎりぎりの裸一貫の自分の生命しか残されていない。その生命それ自体を変えるには、仏法しかないのです。