投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 6日(日)07時28分6秒     通報
■ 人界 —- 自分に打ち勝っ「軌道」を

斉藤: そこで「人界」ですが、さきほど修羅が「勝他の念」であるのに対して、人界は「自分に勝つ」境涯であると言われ、パッと聞ける思いがしました。

名誉会長: 正確には「自分に勝つ」境涯の第一歩が「人界」です。その最高の段階が菩薩界であり仏界です。大聖人は仏典を引いて「三帰五戒は人に生る」(御書 p430)とされている。
三帰〈仏への帰依・法への帰依・僧伽(修行者の組織)への帰依〉も、五戒(不殺生戒、不偸盗戒、不邪淫戒、不妄語戒、不飲酒成)も、正しい人生の「軌道」を歩んでいこうとする努力です。「軌道」を歩むことによって、自分の生命が安定してくる。「慢」の心のように、揺るがなくなるのです。
三帰は、広げて言えば信仰心です。修羅は、自分より優れたものは認めなかった。頭を垂れなかった。しかし、そうすることによって、結局、慢心の奴隷となり、悪のとりこになってしまった。
「人界」は、反対に、自分を超えた大いなる存在を畏敬し、全生命をあげて尊敬することによって、かえって自分自身を豊かにするのです。
五戒というのは、生命を外側から縛るものではなく、内面化された規範であり、誓いであり、人生の軌道といってよい。五戒を破れば苦しみの果報があると知って、知性で自分で自分をコントロールできるのが「人界」です。

須田: 梵語では「人間」は、マヌシャといい、「思考する者」「考える者」という意味です。やはり知性が大切な要件です。大聖人は「賢きを人と云いはかなきを畜といふ」(御書 p1174)と仰せです。三悪道・四悪趣よりも、ちゃんと物事の善悪を見る力がある境涯ですね。

斉藤: 天台は、人界の特徴として“結果が出る前に広く因を修めていること”を挙げています。「因果の道理」を、それなりに弁えているのが人界です。

遠藤: 「大白蓮華」の1997年五月号に「仏教の人権思想」と題して、サリー・キング教授(ジェームズ・マディソン大学)へのインタビュー記事が載っていましたが、五戒についても言及されていました。
仏教で説く戒律 —- 例えば、不殺生戒は、他人に対する善にもなり、同時に自分にとっての善にもなっている、と。なぜならば、他人を害すれば、因果の法に従って自分自身をも害することになるからです。
そうした視点から、教授は「自身への戒めの心に根差した生き方は、結局、すべての人のためになるのです」「こうした生き方の中に仏教的な人権意識がはぐくまれている」という結論を導き出しています。

名誉会長: 仏教の現代的な意義が浮き彫りにされているね。自分を生かし、人をも生かす「道」。人間としてどう生きるのが正しいのか —- その「軌道」を仏法は明かしているのです。「軌道」を歩むゆえに、一歩一歩、向上するし、安定するのです。
人界の境涯について、大聖人は、観心本尊抄で「平かなるは人なり」(御書 p241)と仰せだ。

須田: 平静な生命状態ですね。一日の生活でいえば、仕事や家事を終えた後の穏やかなひととき、といったイメージでしょうか。

遠藤:「平かなるは —- 」のところで、いつも思い浮かぶ小説があります。吉川英治氏の『新・平家物語』のラストシーンです。
源平の戦乱の半世紀を見続けてきた庶民 —- 阿部麻鳥と妻・蓬の二人が、吉野山の桜を見ながら過去を振り返り、しみじみと幸福をかみしめて語り合う場面です。
「何が人間の、幸福かといえば、つきつめたところ、まあこの辺が、人間のたどりつける、いちばんの幸福だろうよ」
「それなのになんで、人はみな、位階や権力とかを、あんなにまで、血を流して争うのでしょう」 —- 。
「人おのおのの天分と、それの一生が世間で果たす、職やら使命の違いはどうも是非がない。が、その職になり切っている者は、すべて立派だ。なんの、人間として変りがあろう」
戦乱の中を不思議にも生き延びてきた、平凡な老夫婦の姿 —- 。これはまさに「人界」ではないかと思います。

名誉会長: 有名なシーンだね。平凡かも知れないが、そこには人間としての立派な輝きがある。
「修羅」の生命は「位階」や「権力」を求めて争い、血を流し、傷つけ合っている。
しかし、二人は、自分自身に生きた。人と比べるのではなくて、自分らしく、自分の道をまっとうした。その「軌道」が修羅の世相のなかでも、人界の安心をもたらしたと言える。安心といい、「平か」と言っても、決して努力なくして得られるのではない。努力しなければ、環境に染まってしまうものです。

須田: 確かに、人界といっても、環境の変化やさまぎまな縁にふれて、たちまち三悪道や修羅の生命に引きずりこまれてしまいます。
私たちの日常の経験から言っても、「平かなる」自分を維持していくことは大変です。ちょっとしたことで、すぐにふさぎ込んだり、カッとなったりします。