投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 5日(土)13時04分40秒     通報
■ 誤った「平等主義」

斉藤: 俗悪週刊誌は「嫉妬社会」の一つの象徴だと思いますが、そういう邪悪を許しているのは社会に渦巻く「嫉妬」の情念です。
それを生む土壌の一つに、誤った「平等主義」があるのではないでしょうか。つまり、すべてが画一的で「横ならび」でないと気がすまないという、悪平等主義です。

須田: そこから、「傑出した存在」を引きずりおろそうという嫉妬が生まれる、と。

名誉会長: たしかに「いじめ」の根底にも、そういう画一主義があるかもしれない。何か人と違うところがあると、すぐに、いじめる。「多数派」の中に入らないと、のけ者にしてしまう。
傑出した者への「嫉妬」も、そして「いじめ」も、ともに画一主義の所産という面がある。その意味で、アテネが民主主義の発祥地だったことも興味深い。

須田: 民主主義で「平等」を追求すると「嫉妬」が強まるというのは、やはり、全てを「横ならび」にしようとするからでしょうか。

名誉会長: もちろん、それは本当の平等ではない。真の平等とは「桜梅桃李」です。それぞれの個性が十分に発揮できるのが平等であり、そのために平等なチャンスを与えるのが民主主義です。
反対に、一つの狭い価値観で皆を評価しようとすると、その価値観からはみ出した人は、行き場がなくなる。

斉藤: 今は、「偏差値」中心の教育であり、有名校・有名会社志向の学歴社会です。これでは、人間は平等に扱われているようで、実は、明確に勝者と敗者ができてしまう。
敗者は、敗北感を癒すすべがありません。また勝者も、単に試験の成績がいいだけにすぎないのに、すべてが優れているような優越感をもってしまう。

須田: そこに不毛な嫉妬やいじめが生まれる土壌がありそうですね。

────────────────────────────────────────
法師品から
「此の経は、如来の現在すら、猶怨嫉多し。況んや減度の後をや。薬王、当に知るべし。如来の滅後に、其れ能く書持し、読誦し、供養し、他人の為に説かん者は、如来則ち、衣を以って之を覆いたもう為し。又、他方の現在の諸仏に護念せらるることを為ん。是の人は、大信カ、及び志願力、諸善根力有らん。当に知るべし。是の人は、如来と共に宿するなり。即ち如来の手をもって、其の頭を摩でたもうを為ん」(法華経 p390)

この経は如来(釈尊)のいる現在においてすら、怨み嫉まれることか多い。ましてや、如来か入滅した後の世にあいては、なおさらてある。しかし薬王よ、まさに知るべきである。如来か入減した後、この経をよく書持し、読誦し、供養し、他人のために説く者を、如来は、衣で覆われるのである。また、他の世界の仏たちか守るのである。この人には、偉大な信ずる力、誓願の力、諸の善根の力かある。まさに知るべきである。この人は、常に如来とともにある。如来から、おほめをいただくのである
────────────────────────────────────────
遠藤: 昔は「勉強ができる」なんてことは、子ども社会では全然、価値がなくて、「あいつは石投げの名人だ」とか(笑い)、「虫のことなら、俺に聞け」とか(笑い)、ある程度、幅がありました。そういう世界では、「勉強できる奴を、いじめよう」とか、そういう嫉妬は少なかった気がします。

名誉会長: 画一主義は「狭い心」です。その狭さから「嫉妬」が生まれ、「いじめ」が生まれる。残酷な修羅の「争い」が生まれる。
相手を尊敬する「広い心」が必要なのです。その究極が、万人に仏界があることを教えた法華経です。また「広い心」の究極は「仏界」そのものです。
また画一主義は、世界的にも大きな問題です。今、「経済」だけを価値観にして、先進国だ途上国だと決めっけているが、尺度を変えれば、世界の地図は、がらっと変わることでしょう。たとえば「家族の仲の良さ」とか「自然を大切にする文化」とか、別の尺度で見れば、どこが先進国か、変わってしまう。二十一世妃は、そういう多元主義で、互いに尊敬していかねばならない。

遠藤: 特に日本は画一主義になりやすいので要注意ですね。画一主義の上に、伝統の集団主義が加わると、まさにファシズムになってしまう。多数派に従わないと許さないという人権無視の方向に行ってしまう。