投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 3日(木)19時58分28秒     通報
■ あえて三悪道の苦悩の海へ

名誉会長: 御聖訓に、「合戦は瞋恚よりをこる」(御書 p1064)と仰せです。地獄界の心が戦争を起こした。戦争が終わったあとも、日本は、悲惨な地獄・餓鬼・畜生の社会でした。
この三悪道の焦土に一人立たれ、「この世から貧乏人と病人をなくしたい」「悲惨の二字をなくしたい」と一人立たれたのが戸田先生です。
「人間革命しかない!」「境涯革命しかない!」と叫びきって、民衆の中に飛びこんでいかれた。根本的次元から、社会を平和と繁栄の方向に向けていかれたのです。私も続いた。文字通り、一体不二で戦いました。命を捨てて、やりました。
■ 母子を救った“励まし”のドラマ

遠藤: こういう体験を聞きましたので、すこし長いですが、読者のために紹介させていただきます。
昭和三十二年(1957年)冬、生活苦に疲れ果て、自殺を決意した婦人がいました。林民子さんといいます。死ぬ前に一目、お母さんに会おうと、最後の百円札を一枚を握りしめて列車に乗りました。もちろん入信前のことです。
名古屋から小郡駅に向かう列車でした。ズボンにエプロン姿の林さんは、みすぼらしい格好が恥ずかしくて縮こまっていたといいます。二歳の娘さんを連れていました。列車が駅に止まるたびに、駅弁を売りに来ました。母も子も空腹そのものでしたが、買うお金はありません。
米原か、京都か覚えていませんが、途中で一人の青年が乗ってきました。決して立派な格好ではなかった。その青年は、林さん母子の真向かいに座りました。
青年は、黒革の分厚い本(後に御書であることがわかる)を開いて、何やらせっせと書き物をしていました。
幼い娘さんは、駅弁売りを見るたびに「おなか、すいた」を繰り返します。駅に着くたびに駄々をこねました。
母は、なさけない思いをかみしめて、「ダメ!」と叱るしかありません。やがて前の青年が、「弁当」を二つください」と言って、買った。
「ああ、いいな、この人。二つも買うなんて、うらやましい」。林さんは思いました。すると、その青年は、一つを差し出して言ったのです。「子供さんに食べさせてあげてください」。林さんはい一瞬、言葉が出ません。「え? え?」と思うばかり。周囲には、立派な服を着た人たちが大勢いましたが、みんな知らんふりをしていました。
「でも、この青年は、自分も良い身なりではないのに、見ず知らずの、それも乞食同然の私たちに弁当をくれた。 世の中にこんな人がいるなんて」
その驚きと感謝の気持ちを、林さんは今も鮮明に覚えているそうです。「ありがとうございます」というのが精一杯でした。格好の恥ずかしさが先に立って、後は何も言えませんでした。
弁当の中身も忘れていません。三分の二がご飯、残りがおかずで、焼き魚が入っていました。それ以上に、鮮烈にまぶたに焼きついたのは、その時の青年の目でした。「何というやさしさをたたえた、きれいな目をしているんだろう」。
青年は、大阪で降りました。降りる時、「頑張ってね」と一言。何とも言えない温かい気持ちが、胸に広がりました。その声も、忘れられません。林さんは、再び、その青年の目を見ました。「何て温かい目だろう —- 」。この瞬間、死ぬ決心は、どこかへ行ってしまっていたのです。宇部で、お母さんに会い、一ヵ月ほど一緒に暮らして、名古屋に戻りました。
その直後、ある学会員から仏法の話を聞いた林さんは、決心して信心を始めました。当時、御本尊を受けるには五百円の供養が原則でしたが、林さんには、そのお金もありません。働いて祈って、働いて —- 昭和三十三年(1958年)一月、ついに御本尊を受持できたのです。翌年、昭和三十四年三月二十二日。豊橋市の松葉小学校で、御書講義が開かれました。池田先生(当時・総務)が、担当でした。
林さんは、二人目の子を身寵もっていて、大きなおなかを抱えて豊橋へ行きました。壇上は遠くて、幹部の顔はよく見えません。が、池田総務が話を始めた瞬間、林さんは驚喜しました。
「あっ、あの時の青年だ! 間違いない!」。死ぬ覚悟で乗った列車で聞いた、あの声を、死を思いとどまるきっかけをつくってくれた、あの青年の声を、どうして忘れることができましょうか。一生の覚悟、一生の誓いが、この時に決まりました。「たとえ、この世で、学会員が私一人になったとしても、私は、絶対に池田先生についていくんだ」と。
弁当をもらった娘さん(岡田美佐子さん)は、プロック担当員として頑張っておられます。豊橋で二度目に会った時に、おなかにいた息子さん(早川正己さん〕は、地区幹事として活躍しておられます。

斉藤: 素晴らしいドラマです。胸を揺さぶられます。こうして先生が、一人一人の庶民を抱きかかえるようにして励ましてこられた事実に、粛然とします。私たちも「境涯革命」に本気で取り組んでまいります。
■ 徹しなければ境涯革命はない

須田: 一瞬の出会いが、人の心を変え、境涯まで変えることが、よく分かりました。

名誉会長: お母さん、娘さんたちが幸せになられて、本当によかった。私は、目の前にいる人を、励まさずにいられなかっただけです。それが学会の心です。
ともあれ、皆、自分の境涯革命を決意したのならば、本気で、やらなければならない。境涯革命が中途半端でできるはずがありません。
「大歓喜の境涯」と言っても、自分をいじめ抜くような苦闘の果てに得られるのです。とくに青年は「今でなければ、いつ」自分を鍛えるのか。
広宣流布へ戦い切って、「断じて自分を高い境涯に引き上げていこう」 —- そう実行してこそ十界論を真に学んだことになるのです。