投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 9月 2日(水)14時03分51秒     通報
>この掲示板には、先生を護る一念を持つ方が自然と集うと感じています。
「先生を護る」という一念で、一人立つことが真の団結です。<

「会員」、「民衆」を忘れて創価の魂は存在しません。権力に迎合し、ずれた正義が横行すると、民衆は置き去りになります。本来ならば、創価学会が民衆側となり、デモの先頭に立つ姿こそが健全ではなかっただろうかと一人考えています。私は、今回の安保法制に関して、公明党は判断ミスをしたと思っています。無論、政治は妥協の世界であり、相対的なものであることは前提ですが、それでも絶対に「譲れないもの」はあります。憲法改正が筋のところを、解釈変更という、中道という名の「邪道」に走ってしまった。もしも、「ダメなものはダメ」と筋を通すことができていたら、たとえそれで連立を離脱することになったとしても、「大衆を味方」にすることはできたように思います。それこそが公明党の真骨頂であり、そこから反転攻勢も可能だったのではないか。

中道といっても、妥協していいことと悪いことがある。安保法制は明らかに「無茶」であり、それを強引に推し進めることを民衆が許すはずがない。これ、当たり前の話である。民衆の声を無視するようになったら、民主主義は成り立たない。そんな状況では、諸天も見放すことでしょう。権力側になると、普通の感覚がわからなくなってしまうものなのかもしれません。公明党は、「暴走に歯止めをかけるために暴走に加担する」というスタンスをとっていますが、果たしてそれが正義か。「ダメなものはダメ」と信念を貫くことができたら、真の意味での「大衆政党」として生まれ変わることができたのではないか。

そしてデモの中心には先駆の学生部が颯爽と躍り出て、権力と対峙する構図こそがザ・創価学会であり、本来あるべき姿であり、スタンスだったように思うのです。それが逆となり、まさかの創価学会が権力側とは残念極まりない。権力者の暴走を許し、擁護するようになったらおしまいではなかろうか。

「現実路線」と「時流には逆らえない」は紙一重です。安保法制の根底にあるのは「総理には逆らえない」であり、その上にすべてが成り立っているように感じます。言い分である、「連立を離脱したら、もっとひどいことになった」という理屈も、「なんだそれレベル」であり、面白いです。これで安易に納得してしまう活動家も活動家でしょう。このあたりの惰弱さが54年とダブってみえてしまうのは私だけでしょうか。

「暴走に条件付きで妥協した」のが公明党であり、まあ、それが政治の世界なのかもしれません。気になるのは「歯止め」を強調しておきながら、民衆の声を聴かない姿勢は一体なんなのか。いつの間にか暴走を先導している体となってしまっているのはどういう料簡なのか。このあたりが胡散臭く、引き続き厳しく監視していく必要があります。政治家のことは「信用しない」のが常識であり、公明党であっても例外ではないのです。
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