投稿者:まなこ   投稿日:2015年 9月 1日(火)06時40分18秒     通報
■ 壮絶な「魔との闘争」

須田: 釈尊が悟りを開いたとされるプッダガヤには、私も訪れました。経文に「伽耶城を去ること遠からず」とありますが、現在のガヤー市街(インド東部のビハール州)から南方へ十キロメートルほどの所です。
ガヤーの町の近郊で釈尊が成道したことから、後に、ここはプッダ(仏陀)のガヤー、プッダガヤと呼ばれるようになりました。

遠藤: 菩提樹という木の名前も、釈尊の成道にちなんでつけられたものです。もともとはアシヴァッタ樹といわれ、「不死を観察するところ」とされています。智慧の樹として尊敬されています。
釈尊が座ったこの菩提樹は、後に仏教徒によって各地に株分けされていったようです。
現在、プッダガヤにある木は、かつてスリランカに株分けしたものを、再度株分けし直したものです。その間、スリランカでも既に一度株分けされていたと考える説もあります。その場合は、現在のものは、いわば“ひ孫”にあたります。

名誉会長: 私も行きました。会長になってすぐ、この「仏教発祥の地」に行った〈就任の翌年の昭和三十六年=1961年〉。そして、大聖人の仏法の「仏法西還」を誓いつつ、「三大秘法抄」の写本や記念の石碑を埋納しました。

斉藤: 今、その誓い通り、インドはもちろん、アジアヘ、世界へ、「太陽の仏法」は広まりました。
釈尊の仏法がアジアに広まるのに、何百年、千年とかかっていることを考えると、後世の歴史家は“奇跡”と驚くでしょう。

名誉会長: 諸君も続いてほしい。続くべきです。ともあれ釈尊は、「人類を救う闘争」を、この地から開始した。プッダガヤで悟りを開いた釈尊の精神闘争とは、どんなものだったのだろうか。

遠藤: はい。それ以前、釈尊はすでに外道の苦行を実践し、欲望を断滅した境地に立っていたとされています。しかし釈尊は、「苦行」では本当の幸福の境涯は得られないと分かって、苦行を捨てました。

須田: 欲望の世界も捨てた。苦行も捨て去った —- 。では釈尊は、いったい何を求め、何を悟ったのでしょうか。

名誉会長: そこに重大な意味がある。 釈尊が追求したのは、人間の「幸福」です。万人にとっての「本当の幸福の道」は、どこにあるのか。欲望に身を焼く人生では、人間は幸福になれない。苦行に我が身を痛めつける人生でも幸福になれない。
生命を燦然と輝かせる中道の「道」を求めて、彼は修行したのです。

須田: 菩提樹の下で、釈尊は結跏跌坐のまま、七日のあいだ瞑想したとされています。

名誉会長: 瞑想というと穏やかな印象を持つが、そんな生やさしいものではない。魔との壮絶な闘争です。釈尊は、宇宙に瀰漫する“生命の破壊者”と対峙し、闘い、打ち破ったのです。その時、不幸という名の「闇」は破れた。

斉藤: 仏典には、魔が巧妙に釈尊に迫るさまが綴られています。悪魔ナムチが釈尊に近づき、こうささやくのです。“お前はやせ細り、顔色も悪い。まさに死に瀕している。このまま瞑想を続ければ、生きる望みは千に一つもない”と。
たしかに、修行の果てに悟達がある保証は何もありません。先覚の道ゆえに誰も先は知らない。死んでしまえば、それこそ幸福の探求も不可能になる —- 。

名誉会長: しかし、釈尊は、ぎりぎりの淵で魔を魔と見破り、高らかに叫んだ。
「悪魔よ、怯者はお前に敗れるかもしれぬが、勇者は勝つ。私は戦う。もし敗れて生きるより、戦って死ぬほうがよい!」
この瞬間、魔は退散した。そして、明け方近く、東の空に明けの明星が輝き始めた瞬間、ついに悟達した。仏法とは「魔との闘争」なのです。魔との戦いを離れて、悟りはない。歓喜はない。人間革命はない。仏法はない。命をかけて魔と戦わなければ仏にはなれないのです。