投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月31日(月)19時12分56秒     通報
■ 本因妙とは「太陽」の仏法

名誉会長: 譬えていえば、文底の仏法は「太陽」です。本門の説法は、太陽の光を反射して輝く「月」です。
迹門の説法は、池に映ってほのかに光っている月かもしれない。

斉藤: 日蓮大聖人が御自身の本因妙の仏法を「太陽」に譬え、釈尊の仏法を「月」に譬えられたのは、法門の上からも深い意味が考えられるわけですね。

名誉会長: 三世の諸仏は、一仏も残らず、皆、この太陽を己心に昇らせて成仏したのです。私どもは、「月」とか「星」を見て「太陽」の光を思いめぐらすのではなく、日々、妙法を唱えて、この太陽を直ちに己心に昇らせている。

須田: 歴劫修行ではなく、この今世で、一生成仏できるということですね。

名誉会長: そう。ゆえに日蓮大聖人は、妙法を唱える人は「やすやすと仏になるべし」(御書 p554)、「釈迦同等の仏にやすやすとならん事疑無きなり」(御書 p817)、「釈尊程の仏にやすやすと成り候なり」(御書 p1443)と、繰り返し仰せなのです。
これこそ本当の「仏教の人間化」です。
何と素晴らしい仏法であろうか。
何と素晴らしい私どもの人生だろうか。
何と素晴らしい宝を、大聖人は人類に与えてくださったことだろうか。
十界論(上)
■ 幸福の追求 —- 悪と戦った分だけ「境涯が拡大」

斉藤: これまで、寿量品で明かされた釈尊の「本因本果」について語っていただきました。読者の方々から、「日蓮大聖人の『太陽の仏法』が、どれほど深く、広大か、永遠の生命観をもった人生が、どれほど素晴らしいか、改めて実感しました」という声が寄せられています。

名誉会長: 私どもは「無上道の人生」を生きているのです。それを自覚するか、しないかです。仏法は何のためにあるのか。それは万人を「幸福」にするためにある。万人に「大歓喜」の境涯を開くためにある。トルストイは綴っています。
「喜ベ! 喜べ! 人生の事業、人生の使命は喜びだ。空に向かって、太陽に向かって、星に向かって、草に向かって、樹木に向かって、動物に向かって、人間に向かって喜ぶがよい」(『トルストイの言葉』小沼文彦訳編、彌生書房)
人生の使命は喜びにあり! —- これが大文豪の一つの結論であった。その本義を知っているのは、私どもです。法華経こそ、「歓喜の中の大歓喜」(御書 p788)を開く経典なのです。

遠藤: 釈尊が菩提樹の下で開いた境涯というのも、何ものもさえぎることのできない「大歓喜の境涯」だったのですね。

名誉会長: その通りです。「始成正覚」というと、何かいかめしく感じるけれども、わかりやすく言えば、菩提樹の下で悟りを開いた瞬間、釈尊の胸中には「歓喜の中の大歓喜」の太陽が燦然と昇ったのです。