投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月29日(土)07時41分57秒     通報
■ 「私は立派な凡夫」戸田先生

遠藤: 戸田先生は言われています。「もしわれわれが南無妙法蓮華経を修行して、菩薩だとか、あるいは大菩薩の位だという位がついたら、おかしなものでしょう。今未法にいたって、今日蓮だとか、大菩薩だとかがいるわけがない。そんな者がいればオバケです」(笑い)と。

名誉会長: そう言えば、戸田先生に向かって、「会長さんは生き仏なのでしょう」と皮肉っぽく聞いた新聞記者がいた。
先生は「冗談ではない。生き仏が生魚を食ったり、ウイスキーなんか飲んだらたいへんなことだ(笑い)。そんなものはいません」と呵々大笑されていた。
「私は立派な凡夫だ。自分を神だなどと言う宗教の教祖は、インチキだ」とも、よくおっしやっていたものです。

斉藤: 人間以上の人間はいない! —- という断固たる信念ですね。常々、池田先生に教えていただいている仏法の人間主義が、どれほど重要な「二十一世紀の宗教」の条件であるかを改めて実感します。

名誉会長: 宗教だけではない。権力者も、自分を「人間以上」に見せかけるために、権威づけとして宗教を利用することが珍しくない。聖職者にせよ、権力者にせよ、「人間以上」とか「特別な人間」のふりをする時、民衆は悲惨な目にあわされる。これが歴史の教訓です。「魔女狩り」や「ヒトラー」「スターリン」の例を引くまでもない。
パスカルの言葉は、この悲劇の本質を鋭くえぐっています。「人間は、天使でも、けだものでもない。不幸なことは、天使を気取ろうとする者が、けだものになり下がってしまうことだ」(『パンセ』田辺保訳、角川書店)。

遠藤: 「天使 —- 人間以上」のように気取る者は、「けだもの —- 人間以下」の振る舞いをするに至るということですね。
この観点から「発迹顕本」を考えますと、どこまでも「人間・釈尊」に即して離れずに「永遠なる大生命」を開示したところに意味があると考えられます。

名誉会長: 哲学的に言うならば、“今の現実”から離れずに“永遠”を見よ! “内在”に即して“超越”を求めよ! “その場”にあって“宇宙的なもの”を開け! ということになるでしょう。これが発迹顕本の心なのです。
■ 寿量品は小乗と大乗を統合

斉藤: 小乗教とか権大乗教は、どちらも真摯なアプローチを重ねて、それなりの思想的成果を残したものの、結局は偏頗にゆがんでしまった。寿量品の発迹顕本によって初めて、この両者を大きく統合することができたのですね。

名誉会長: そう。「人間・釈尊」に帰り、なおかつ「永遠の仏」という、“神格化以上”の深い宗教的世界を開いた。人間に即しつつ、人間が人間自身を無限に超えゆく道を開いたのです。

斉藤: そう考えると、私たちは、とかく「永遠の仏が明かされた」という「顕本」の側面だけを重視しがちですが、「発迹」の面が大事である、と。
「発迹」には「人間・釈尊」にどこまでも即していく、つまり具体的・現実的な人間を離れず、そこに真実を見いだそうとする決意が感じられます。

名誉会長: 「発」とは「開く」という意味です。「迹」を「開く」というのは、譬えて言えば、太陽を覆っている雲を取り除くことです。雲を除けば、燦々たる太陽の光が現れてくる。これが「本地」です。雲があるからといって、他の所に太陽を求めるのではない。そこを離れないのです。そこに本地があるからです。

須田: 「人間へ帰れ」と言うのは、わかったのですが、ただ実際には、「永遠の仏」とか「常住此説法の仏」と言われても、ピンとこない人が多いかもしれません。人間を超えた“スーパーマン”のような感じにとられかねないと思うのですが —- 。

遠藤: 実際、一般の仏教学でも、寿量品の釈尊は、ほとんど神格化して、扱れれています。

名誉会長: だからこそ、大聖人は御本尊を顕されたのです。これ以上の現実はない。具体はないのです。大聖人は、私たち末法の凡夫が、御本尊に妙法を唱えることで、「常住此説法の仏」と一体になれるようにしてくださったのです。
人法一箇の御本尊です。“人”の側面は、久遠元初の自受用報身如来。“法”の側面は、事の一念三千です。だから、戸田先生は、久遠元初の仏のことを「一念三千様」とも言われていた。御本尊を受持し、広宣流布に戦うことによって、私どもの生命に「常住此説法の永遠の仏」が涌現してくるのです。
戸田先生は寿量品の「是れより来、我常に此の娑婆世界に在って説法教化す」(法華経 p498)の経文について、「大宇宙即御本尊ということであり、南無妙法蓮華経の生命は、久遠以来、大宇宙とともにあるということです」と言われていた。
そして「御本尊を拝みまいらせて、御本尊の生命をこちらへいただくと、われわれのこの生命それ自体が、南無妙法蓮華経というものなのですから、御本尊のカがわれわれの方にグーッと出るのであります。すると、世の中のことを見ても、大きなあやまりがなくなるのです」と。