投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 8月27日(木)22時38分8秒     通報
言ってわかる人もいれば、わからない人もいるでしょう。また、繰り返せばわかる人もいましょう。それ以前に、魔王の眷属としての働きをしている人は、言えば言うほど逆上し、迫害を加えてくるでしょう。この迫害は誰にも避けることはできません。

御書P1143
「ただ世間の留難来るとも・とりあへ給うべからず、賢人・聖人も此の事はのがれず」

難は必須であり、とりあうなと言われています。これは、難があっても一々動揺しない、「覚悟の信心」を奨励しているものと拝せます。共戦様の仰るように、魔王の眷属との戦いにおいては、信心でなければ太刀打ちできないでしょう。言ってどうにかなるレベルではありません。しかし、言うことによって魔を炙り出し、顕らかにすることはできます。黙っていては何もはじまらず、所謂「良い人」では破邪顕正の戦いはできない。

その上で、ぺんぎん様が紹介してくださった先生の「若き諸君は、たとえ相手がどんな役職や立場であろうと、その行為が間違っていれば、『何をやっているんだ!』『先生の指導と違うではないか!』と、はっきりと言っていくべきである。」との指導の実践が大事になります。創価学会は大組織であるが故に、すぐに官僚化していきます。どれだけ声をあげても足りないくらいです。よって、一切の遠慮はいらず、どしどし声(特に女性)をあげるべきです。相手が、聞く聞かないは別として、破邪顕正は「随自意」が根本です。随自意とは「遠慮しない」ということです。

うらら様は、これまで以上に声をあげていってください。まだまだ総合的に考えて、声を上げる人が少なすぎるからです。ざっと千人分は頑張ってください(笑)それでも足りないくらいなのです。