投稿者:ジョーカー   投稿日:2015年 8月27日(木)20時08分45秒     通報
>この板となんでも反対の共産党との違いを明確にしていただけませんか?<

賛成・反対・中立の様々な意見を知り、学んでいくのが宿坊の掲示板であり、所謂「反対のための反対」とは一線を画します。ライン組織というのは、どうしても一方的な情報のみが流れ、それでよしとしてしまう傾向にあります。多様性を尊重する現代において、偏った思考の人材をいくら輩出しようと、通用しません。賛成・反対・中立のすべての意見を知ったうえで、判断していく知恵こそが大事であり、それが真のリーダーの姿とも言えましょう。

活動家というのは、組織の意向に自分を合わせてしまう癖があります。いつしか、組織の考え=自分の考えとなり、それ以外は受け付けない体質になってしまいがちです。立場やしがらみなどが交錯し、本質がみえなくなっていきます。その点、ネットの掲示板の良いところは、立場やしがらみなど一切関係なく、「自分はどう思うのか」を忌憚なく表明できる場であり、全員が平等です。私自身、これまで250以上の投稿をしておりますが、どこまでいっても一意見に過ぎませんし、誰かの意見を鵜呑みにする必要もありません。

投稿するということは、全国、全世界に自分の考えを表明することになります。真剣な真理の追求の場であり、自身の書いた文章には責任も伴います。あらゆる意見に耳を傾ける度量と、誤りがあるのなら訂正する素直さは必須といえましょう。真剣だからこそぶつかりあうこともありますが、共戦様の仰るように、根本は「慈悲」であり、誰かを苦しめることや、追い込むことが目的ではありません。況や、学会を壊そうなどという発想は皆無であると信じます。万が一そのような動きがあったとしても、それが許されるレベルの掲示板ではありません。

賛成・反対・中立の意見、すべて歓迎であり、もっともっと多くの角度から物事を見ていく必要があります。それが価値創造の源泉となり、よりよい創価学会をつくっていくことができるからです。同じような思考の人間がいくら集まっても、相乗効果を生むことはできない。すべてを包含する度量があってこそ宗教界の王者であり、異なった意見を、「団結を乱す魔」などと考えるレベルでは話にならない。体制側というのは、秩序が乱れることを恐れますが、教義変更にしろ、安保法制にしろ、もともと賛否が分かれるような代物であり、それが大前提なのです。いろいろな考えがあって当然であり、ひとつにまとめることは不可能なのです。

多様性を認めつつ、それでも皆が「納得」できる創価学会を構築する時がきました。今までのやりかたでは通用しないことに気付かなければ、懸念を表明する人や、反対する人に「仏敵」というレッテルをはり、弾圧するようになる。これは極めて恐ろしいことであり、日蓮仏法の世界ではありません。宿坊の掲示板でなされている議論というのは、別に普通のことであり、所謂「本音トーク」でしょう。本音の中に真実があり、ライン組織ではどうしても「建前」や「立場」が優先され、本音を垣間見ることは難しい。宗教の魂は自発であり、そして一念とは本音によって左右され、ごまかしはきかないのです。

嘘やごまかしは人の心には何も響きません。そんな組織には魅力はなく、心ある人は離れてしまいます。本来は宿坊の掲示板でなされている議論が、ライン組織でなされるのが良いのでしょうが、そこまで成熟していないというのが実情でしょう。立場やしがらみを越えて、「一人の人間」、「一人の国民」としてどう思うのかを表明していくことを望みます。「自分の言葉」で語ることが大事であり、「組織人間」の言葉は無用なのです。組織に依存した組織人間から、自立した「自分の頭で考える信仰者」へと成長していくことが急務であり、そのための宿坊の掲示板といえるのではないでしょうか。