投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月26日(水)17時49分53秒     通報
■ 「人間革命の世紀」へ!

名誉会長: その通りです。世界を変えるためには、自分自身が変わらなければならない。その「変える」べき根本は、生命観にある。生死観にある。自分観にある。この生死という問題に、根本の指針を与えるのが法華経の寿量品です。
一般論としても、永遠の何かを信じることが、人間をより人間らしくする。内村鑑三だったか「私は健全なる来世観ほど、人を偉大になすものはないと思ひます」(『キリスト教問答』角川文庫)と言っている。そうでしょう。
“人生はこの世限り”と思っていては、本当に深い人生を生きることはできないのではないだろうか。永遠性を知らなければ、根底が刹那的になる。
譬えていえば、浅瀬を泳いでいるようなものです。赤ちゃんが夏にビニール製のプールで遊んでいる。赤ちゃんのうちはそれでいいかもしれないが、小学生になり、本物のプールを知れば、それでは満足できなくなる。さらに海で泳ぐ喜びを知れば、いくら波のあるプールでも物足りなくなる。人生も同じです。
自分の中に広がる“生命の大海”に目覚めてこそ、本当に充実した「大いなる人生」を生きられるのです。今、人々は、いよいよ「生と死」を見つめ始めた。「人間」を見つめ始めた。二十一世紀への胎動です。
「生命の世紀」とは、「人間革命の世紀」です。寿量品の「永遠の生命」を根底にした大文明が花開く世紀なのです。
発迹顕本 —- 「人間こそ尊極」と宣言
■ 「人間・釈尊」に即して「永遠の仏」を開示

斉藤: 香港でも『法華経の智慧』が出版されました。明報出版社の「仏教と人生」シリーズの冒頭を飾り、「シリーズ第一巻」に選ばれたようです。深い人生哲学を求める、世界の人々の鼓動を聞く思いがします。

須田: シリーズの総序として、こう書かれています。筆者は、日刊紙「明報」の主筆、魏承思氏です。
「人生の価値と意義は何か? 人生の源は? 人生の行き着くところは? 果てしない宇宙のなかで人間の存在とは? こうした尽きることのない問題は、常にわれわれ人類の頭を悩ませ、だれもがその答えを追い求めてきた」
「林のように多くのさまざまな宗教・哲学の体系のなかで、仏教の人生への洞察は、独りそびえる大木のごとくであり、人々を深い思索に導いてきた」。

遠藤: ここで、なぜ仏教が「大木のごとく」独りそびえているのか。その見解が、実に鋭いですね。
「仏教は(一神教の神のように)『救済者』という概念に縛られない。自己を尊び、自己を信じ、自分のカで生死の苦悩から解脱できることを教えている。ゆえに仏教には、人の心を安らかにし、人生を変えゆく使命がある。これこそが今日、東洋から西洋へ、そして全世界へと仏教が広がつている根本原因なのである」

名誉会長: 急所を突いている。仏教の真髄は、何かに頼るものではない。自分自身が、自分自身の決意と、自分自身の努力で、自分自身を開いていくのです。
頼らない。自分が立ち上がる。同情もいらない。感傷もいらない。だれが励ましてくれなくてもいい。自分が決然と、そして朗らかに立ち上がって、自分を変え、周囲を変え、社会を変え、国土まで変えていくのです。
これが一念三千です。観念論ではない。何かにすがる、弱々しい生き方ではない。かといって、“我、尊し”と傲る利己主義でもない。自分の中の「大いなる生命力」を信ずることは、万人の中の「大いなる生命力」を信ずることと一体です。自分を大切にし、同じように、人を大切にしていくのが仏法です。

斉藤: そういう仏法の真髄を行じてきたからこそ、SGI(創価学会インタナショナル)は全世界に広がったのですね。
百二十八カ国で、法華経の精髄を人々が実践しているというのは、まさに仏教史の奇跡だと思います。

名誉会長: 日蓮大聖人が、また牧口先生、戸田先生が、きっと満面の笑顔で喜んでくださっていることでしょう。

遠藤: 香港では七十カ国の友が集ってのSGI総会、そして百カ国による世界青年平和文化祭。本当に「絢爛たる時代」をつくっていただいたと思います。この仏法興隆のエネルギーの根源は何か。今、池田先生が牧口先生、戸田先生のことを言われたように、広宣流布へと向かう「師弟の精神」があったからだと確信しています。

斉藤: 私もそう思います。反対にいうと、仏教が衰退していった時、そこには峻厳な「師弟の精神」がなくなっていたのではないかと思うのです。