投稿者:まなこ   投稿日:2015年 8月26日(水)06時03分49秒     通報
「生も歓喜」「死も歓喜」のドラマ

須田: 素晴らしき生死のドラマ —- 学会には無数の実例があります。私の知人の「義理の祖母」の方の体験を聞きました。
中谷千代さんといって、1993年(平成五年)に七十六歳で逝去されましたが、八人の子ども、その配偶者、孫、ひ孫、総計三十七人の一族の方たちの唱題に送られて亡くなられています。
皆、区幹部をはじめ、本部や支部、地区等で活躍しており、集まればそのまま支部幹部会ができるようなご一族です。

遠藤: そのおばあちゃん自身のご兄弟や親戚はいらっしゃるんですか。

須田: いや、若い時に両親も兄弟も亡くし、郷里を離れて天涯孤独だったようです。戦前から戦後にかけて、二人の夫に先立たれ、子どもも相次いで失いました。残された子どもたちを抱え、昭和三十一年(1956年)に入会したのです。ガンの克服を通して信心の確信をつかまれたそうです。
私の知人はその孫娘の夫にあたるのですが、皆がそのおばあちゃんを“山”のような存在に譬えていたようです。
どんな宿命の嵐にも微動だにしない不動の信仰を貫かれました。生活が苦しくて子どもたちの間でグチが出た時は、決まってこう言われたそうです。
「おなかが一杯になったら、本当の信心なんてできなくなるかもしれないよ。いろいろ苦労があるからこそ真剣に活動に励めるんじゃないか。それを感謝しなきゃ」と。
家業を軌道に乗せ、東京・港区白金を中心に子どもたち全員に家を持たせ、晩年は地区幹事として折伏を楽しみながら活動されたそうです。
御書がポンポン口をついて、なかでも「とても此の身は徒に山野の土と成るべし・惜みても何かせん惜むとも惜みとぐべからず・人久しといえども百年には過ず・其の間の事は但一睡の夢ぞかし」(御書 p1386)との一節がお好きだったようですね。
■ “御本尊にいただいた寿命だもの”

遠藤: 私も、東京・杉並の桂ユキさんの体験談を聞きました。1996年(平成八年)十月に亡くなられたのですが、葬儀には地域の老人会や商店街の方をはじめ、三百六十人以上の参列者が来られたそうです。特別な社会的肩書もない団地住まいの八十四歳のおばあさんの葬儀としては、異例のことです。周囲で話題になりました。
この方も女手一つで四人の娘を育てたのですが、ご本人は七ヶ月の未熟児で生まれ、体重は四十キロを超えたことがない体だったようです。晩年は二十八キロ。
それでも、はつらつとしていて、娘さんも“うちのおばあちゃん”とは呼べず、“うちの母が”と言っていたといいます。
ご本人は、「私はこんなに生きられる体じゃない。御本尊にいただいた寿命だもの」と言うのが口ぐせで、十年前にガンの疑いがあつて入院した時も「全部、御本尊にまかせています。使命があれば治ります」と、唱題をし抜いておられたようです。仕事を退職されてからは、地域の老人会活動に取り組み、人のために行動することが楽しみで、全然苦にならなかったようです。

須田: それで、地域の方に信頼が厚かったのですね。

遠藤: 地区幹事として、こつこつと戦い、毎月一部以上の新聞啓蒙も欠かさなかったようです。
亡くなられる時も、久しぶりに四人のお子さんたちと出かけるということで、前日に美容院に行かれ、その当日の朝、家族が部屋にいくと静かに亡くなられていたそうです。ベッドの上に正座し、そのままうつぶせになって、何の苦しみもなく目をつぶられていたといいます。
皮膚も艶やかで、駆けつけた医者も「こういう死に方をしたいものだ」と語ったそうです。 葬儀は五日後に行われたのですが、顔もピンク色で、日ごとに若くなり、参列した信心していない方たちからも「やはり信仰の力は違う」という感想が寄せられたようです。
■ 今世で仏の境涯を開き、固める

名誉会長: 中谷さんのことも、桂さんのことも、うかがっています。こういう方々が、学会を支えてくださっているのです。
また、こういう方々が、本当の“法華経の実践者”です。尊いことです。模範です。こういう方々が、学会には数限りなくおられる。
さきほどの御聖訓に「人久しといえども百年には過ず」とあったが、その通りです。「ここにいる人は、百年たったら皆いなくなるんだよ」と、戸田先生もよくおっしゃっていた。
この世は「一睡の夢」です。長命だ、短命だと言っても、永遠から見れば、なんの差もない。寿命の長短ではありません。どう生きたかです。何をしたかです。どう自分の境涯を変えたのか。どれだけ人々を幸福にしたのか、です。
今世で仏の境涯を開き、固めた人は、それが永遠に続く。この一生で「永遠」が決まるのです。それが一生成仏です。

斉藤: たとえ短命であっても、不朽の人生になれるということですね。

名誉会長: そうです。そのうえで、私は全同志に「健康で長生き」していただきたい。
寿量品に「更賜寿命(更に寿命を賜え)」(法華経 p502)とある。寿命とは生命力です。御本尊から、さらに偉大な生命力を賜って、生きて生きて生き抜くのです。それが寿量品です。命を若々しくする秘法です。

斉藤: 確かに寿命を延ばした人も、たくさんおられます。入会前に、医者から“あなたは長生きできないね”と言われたほど病弱だったご婦人が、信心したおかげで健康になり、百歳を過ぎた今でも元気に座談会に出てこられていた。そう言った医者のほうが、とっくに亡くなってしまった —- そういう方がおられました(笑い)。

名誉会長: 人生の年輪を重ねるごとに、心がいよいよ若さを増していく。常に「さあ、これからだ」と力強く前進する。
これが真の「健康」です。本当の「長寿」です。広宣流布のために生き抜こうという人は、必ずそうなれるのです。そのための信心です。