投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月15日(土)08時55分19秒     通報
全国最高協議会(2006.9.22)

一、全国の各方面のリーダーの皆さま方、連日の奔走、まことにご苦労さまです。
それは終戦直後、1945年(昭和20年)の、9月22日のことである。
法難の弾圧を勝ち越えて出獄なされた戸田先生は、戦後の荒野に一人立ち、厳然と妙法広布の戦いを開始されていた。
その日、戸田先生はノートに、こう記されている。
「南無妙法蓮華経の信仰は、向上を意味する。無限の向上である。朝に今日一日の伸びんことを思い、勇躍して今日一日を楽しむ。しかして無限に向上して行く」
「まだまだ、その上へその上へと向上して行く法である」
これが、本因妙の大仏法を体現された先生のご境涯であられた。
「進まざるは退転」である。
ゆえに「前進!」だ。
「仏法は勝負」である。
ゆえに「勝利!」だ。

一、以前にも、申し上げたことがあったと思うが、終戦のとき、私は17歳であった。
長兄はビルマの戦線で戦死し、次兄は中国で戦線に参加。3番目の兄も同じく中国で戦わされた。4番目の兄も、中国戦線に参加した。
昭和20年8月15日、日本は終戦を迎えた。
日本にいた兵隊さんが、たくさんの荷物を背負って、それぞれの自宅に戻っていった姿を、今でも覚えている。
しかし、わが家の3人の兄が中国から帰ったのは、戦後1、2年経ってからだった。皆、命からがら、わびしそうに帰ってきた。
わりあい立派だったわが家も、戦争中、強制疎開させられた。
東京・蒲田の糀谷から移って、馬込の親戚の側に作らせてもらった家も、空襲で全焼した。
父親がリウマチを患うなか、母親は、精いっぱい、一家を守ってくれた。
長男から4男まで戦争に取られ、5男の私は肺病であった。わが家は戦争に翻弄された。
あまりにも不平等であり、あまりにも理不尽な現実があった。
ゆえに、私は絶対に戦争に反対である。
戦争と権力に対して、反対する精神を、その時に持った。
これが、私が戸田先生のもと、立ち上がった大きな原点である。
私は、一生涯、庶民の味方である。

一、戸田先生は、厳しく言われていた。
── 幹部がだんだんと年を取り、戦う心を失い、自分中心になってしまうならば、新鮮な息吹がなくなってくる。それでは学会の組織は、絶対に弱体化する、と。
だからこそ、幹部自らが、常に新鮮な息吹に満ちて、生き生きと若々しく、向上していくことだ。
その一切の原動力が、師弟の求道である。
「会員が、あの幹部を見ると、心から安心して信心に励めるといった幹部であってほしい」
これも、戸田先生のご指導であった。そのための「人間革命」に挑戦していきたい。
リーダーは、決して威張ってはいけない。傲慢になってはいけない。
幹部に威張る資格などない。本当に偉いのは会員である。実際に折伏をし、広布を推進してくださっている会員の皆さまである。その方々に、幹部は最敬礼していかねばならない。
凡夫こそ仏。民衆こそ偉大。そう見ていくのが日蓮大聖人の仏法の精神だ。
まず最高幹部が、率先して模範を示していかねばならない。
気取りなど捨て、いい格好を見せようなどと思わずに、一人一人の会員を心から大切にし、誠心誠意、尽くしていくのだ。
「ありがとう」という言葉もない。言ったとしても、口先だけで心がこもっていない。そんなリーダーのもとでは、皆があまりにかわいそうである。
広宣流布に戦ってくださる尊き同志に、真心を込めて、「ありがとう」と感謝していく。「よく来たね」「大変だったですね」と、ほっとするような温かい言葉をかけていく。
皆から愛され、慕われる広布のリーダーとして生き抜いてほしい。その根幹は、師弟の精神である。

一、戸田先生は、厳然と言われた。
「地位や学歴で、人間の偉さが決まるのではない。
日蓮大聖人の弟子として『広宣流布に働く人』こそ『一番、偉い人』である。その人を一番、大事にするのだ」
永遠に銘記すべきご指導である。
さらに先生は、こう戒めていた。,
「精神性を重要視する宗教界や思想界が学歴本位になっていけば、その団体は必ず分裂し、行き詰まり、崩壊するであろう」
なかんずく、「平等大慧」の仏法において、本来、学歴などはまったく関係ない。
当然、学問は必要である。いつまでも学ぶ心を失ってはならない。
しかし、学問と学歴は違う。創価学会は、学歴主義に絶対毒されてはならない和合の世界である。
この根本の一点を、きょうは、将来のために、あらためて確認しておきたい。

一、仏法の真髄は「心こそ大切なれ」(御書1192ページ)である。信心は「心」の世界である。
「信心の厚薄によるべきなり」(同1244ページ)と仰せのごとく、信心の「心」が、厚いか、薄いか。深いか、浅いか。強いか、弱いか。それが一切の根幹である。
「学歴」や「肩書」などで左右されるものでは断じてない。
むしろ、高い学歴ゆえに増上慢を起こせば、信心を狂わし、和合僧を濁らせてしまう。
御本仏であられる日蓮大聖人の御在世にあってさえも、そうした例が見られた。歴史の重大な教訓である。
あの三位房も、その一人であった。
三位房は、早くから大聖人の門下となり、その才知や弁舌によって頭角を現していった。
彼は、京、比叡山に遊学した。
当時の比叡山は、いわば「最高峰の仏教大学・総合大学」ともいうべき存在であった。それゆえに、比叡山で学んだということは、今でいえば最高の学歴を得たことに通じるともいってよい。
しかも、京は華やかな貴族の都である。三位房は、この遊学で、世俗的な権威に目がくらみ、すっかり心を乱してしまった。
京に上った彼は、ある公家に招かれて、その持仏堂で説法をした。
その様子を彼は、師匠である大聖人に対して、得意げに報告したのである。
大聖人は、三位房の虚栄と慢心を、次のように烈々と叱責なされた。
── おまえは、社会的な地位や名誉を超越したはずの仏法者ではないか。そのうえ、この仏法は世界第一の尊き仏法である。
それを思えば、(仏と等しい悟りを得た位の)等覚の菩薩でさえ、どうということはない。
まして、仏の家来である梵天・帝釈等は、我らを守る立場である。四天王は、その梵天・帝釈等の門番である。
(その四天王のうち)毘沙門天王の家来が、四大州の王たちである。
いわんや、日本の権力者など、その王たちの家来にも及ばない。ただの「島の長」ではないか。
その長に仕える者たちに「呼んでいただいた」などとは、なにごとか!
「面目をほどこした」とは、いったい、どういうつもりか。
おまえは、日蓮を卑しんでこのようなことを書いたのか ── と(御書1268ページ、趣意)。
最高無上の仏法を行ずる、日蓮門下の誇りと自覚を失った心を、師が見逃されるわけがない。
根本の信心を、師弟の精神を、断じて忘れるな! ── 大聖人は、弟子を思うがゆえに、それはそれは厳しい叱咤を続けられた。
「総じて日蓮の弟子は京に上ると、初めのうちは(初心を)忘れないようであるが、後になると天魔がついて正気を失ってしまう。少輔房のようなものである。
三位房、あなたもそのような姿になって諸天に憎まれないようになさい」(同ページ、通解)
三位房は、京に上った後、名前を、後鳥羽上皇の名前である「尊成」と変えた。そして、その名を大聖人に対する報告のなかに、得々と書き記していた。
大聖人は、厳しく仰せである。
「京に上って、いくらも経ってないのに、実名を変えたということであるが、狂っている。きっと言葉つきや発音なども、京なまりになったことであろう。
ねずみがこうもりになったように、鳥でもなくねずみでもなく、田舎法師でもなく京法師にも似ていず、少輔房のようになってしまったと思われる」(同ページ、通解)
貴族ぶって、自分の名前や経歴を飾り立てようとする。なんと浅ましい心であろうか。

一、大聖人は、続けて戒めておられる。
「言葉は、ただ田舎言葉でいるがよい。(どっちつかずなのは)かえって見苦しいものである」(同ページ、通解)
仏法を持ち、行じゆく人間は、そのままで最高に尊貴な存在である。
何の見栄を張る必要もない。格好をつける必要もない。「無作三身」が大切なのである。ありのままの人間性を輝かせきっていけばよいのだ。
日蓮大聖人の直結の弟子として、だれよりも誇り高く、妙法を唱え、広宣流布に生ききっていけばよい。その真実の行動が光るのだ。
清々しい信心を、名聞名利に食い破られては、絶対にならない。
大聖人から峻厳な御指導をいただいた三位房は、その後、鎌倉へ戻り、いったんは広宣流布の法戦に身を投じた。
日興上人の富士の弘教の補佐や、諸宗との間答の主任なども命じられている。
しかし、才知に溺れた増上慢の性根は変わらなかった。そして、どす黒い心に染まって、「熱原の法難」のころ退転し、不慮の死を遂げたといわれている。
大聖人は、もっともっと厳しく注意しておけば助けることができたかもしれない、と振り返っておられる(同1191ページ)。
戸田先生も、ある幹部に対して、のちに「もっと厳しく言ってあげればよかった」とおっしゃっていたことがある。
言うべきことは、言っておかないといけない。
だから、私も正義を語り残す。
正しいことを、真実を、どんどん言うのである。言論の自由の社会だ。「声仏事を為す」(同708ページ)である。

一、御聖訓には仰せである。
「須梨槃特は、三年かかっても十四文字を暗唱できなかったけれども、仏になった。
提婆達多は、六万蔵という膨大な経典を暗記したけれども、無間地獄に堕ちた。
このことは、ひとえに末法の今の世のことを表しているのである。
決して他人のことと思ってはならない」(同1472ページ、通解)
どんなに学歴、学識があっても、信心がなければ成仏は絶対にできない。
最高学府を出ても、また最高位の勲位を手にしても、仏法の正道に背き、人間の知恩・報恩の道を踏み外してしまえば、最低・最下位の生命の無間地獄に転落してしまうのだ。
これが、厳しき因果の生命の理法である。
学歴がなかろうが、無名無冠であろうが、まっすぐに信心を実践し抜く人こそが、大勝利者の境涯となり、悠然と成仏できるのである。

一、創価学会の「創立の父」であられる牧口先生は厳然と言われていた。
「名門の人や高位・高官だからといって、へつらうのも法を下げる」
これが、創価の先師の誇りであられた。
さらに牧口先生は、「上流に立つ指導階級の流す無意識の害毒が、いかに重大であるか」とも戒めておられた。
上に立つ幹部が見栄っ張りになり、学歴などを鼻にかけて増上慢になってしまえは、清浄無比な創価学会の世界に毒を流してしまう。
大聖人の御心に適った学会精神を、永遠に明々と燃え上がらせていかねばならない。
そこに、広宣流布の流れがあるのだ。

一、草創期の多くの学会員は、十分に学ぶ余裕もなかった。
戦中・戦後の時代であり、学校制度も混乱を極めた時代である。満足に学校に行けなかった方々も少なくない。
私も、戸田先生の事業を支えるために、大学に通うことを断念した。
先生にお仕えし、お守りできることを、最大の誇りとした。
戸田先生は、学校を出ていないことに引け目を感じていた青年を大いに励まされた。
「学歴なんか、気にするな!」「もっと、御本尊への強い確信をもって、自分の仕事、一切のことに、自信を持ちなさい。
引っ込み思案の生き方は価値的ではない」
そうした青年たちが、一人また一人、頭を上げ、胸を張って、偉大な使命の人生を歩み、人間としての真正の実力を発揮しながら、広宣流布の道なき道を開いてきたのである。そして、皆、勝利していったのである。

一、戸田先生は、毅然と宣言なされた。
「学校に行けなかった方々を、最大に幸福にしていくのが、創価学会である」
これが、学会精神の真髄である。
「創価学会は、校舎なき総合大学である」とも、先生は言われた。
また先生は、リーダーの重要な急所について、こう語られた。
「学会の指導者は、なにをもって一般よりも高しとしうるのであろうか。いうまでもなく『信心』の力である。
その人自身の持っている『才能』『財力』『社会的位置』等ではない。
ただただ信仰の道においてのみであることを、深く自覚しなければならぬ」
さらに先生は、同志に絶対の誇りと自負を贈ってくださった。
「学会の幹部として戦う。人のため、法のため、平和のために働いている。これほど尊いことはないじゃないか。仏法即社会であり、一番尊い社会的地位だ。それを卑下するような人間は、私の弟子ではない」

一、また戸田先生は、威張る幹部は絶対に許されなかった。
「見栄を張ったりする人間が、学会の幹部になっては、絶対に困る」
「腹の中で学会員を小馬鹿にしたり、大した人間でもないのに自分を偉そうに見せたり、学歴があるからといって尊大ぶる愚劣な幹部もいる。
また、皆の支援によって名誉ある議員にさせてもらいながら、信心を失い、退転して、恩知らずな行動をとっていく愚者や卑怯者も出るだろう。こいつらを断じて許してはならない」と、厳しく言い残された。
ともあれ、今日の創価学会を築き上げたのは、三代の会長とともに立ち上がった、無冠の庶民たちである。
学びたくても、満足に学校に行けなかった。夜学に行った。貧しさと戦い抜いた。仕事も地道である。そういう皆さまこそが尊いのだ。英雄である。そういう方々が学会をつくってくださった。
大学に行けなくとも、また夜学であっても、無名の学校であろうと、一切、信心には関係ない。そこに、微塵たりとも差別を許してはならない。
そうでなければ、一番、真面目な同志がかわいそうである。
権力を持った議員や、肩書のある人間、学歴を持った人間が威張るようになったら、公平さが失われる。学歴とか勲章とかで威張ったり、威張らせたりするようなことがあっては、絶対にならない。
それは、仏法とは、まったく異質の世界になり下がってしまうからだ。

一、為政者は、民衆によって支えられている。
ゆえに、民衆を心から尊敬し、民衆の幸福のために尽くすのが当然である。
にもかかわらず、〝自分が一番偉い〟と勘違いして、民衆を見下し、犠牲にする。これが「権力の魔性」である。
この権力の横暴を断じて放置してはならない。戦わなくてはいけない。「民衆が主役」の時代を切り開いていくのだそれが学会の三代の会長の決心であり、実践であった。
牧口先生のことを語るときの戸田先生の姿は、それはそれは峻厳であられた。とくに牧口先生の獄死に話が及ぶと、目に涙を浮かべ、憤怒に震えながら、「権力の魔性」との闘争を誓われた。
そのようにして、戸田先生は、真実の学会精神とは何かを教えてくださった。崇高な「仏法の師弟」の模範を示してくださったのである。
私も今、戸田先生のご精神を、そして、ご指導のすべてを後世に伝え残している。それが弟子である私の責務であるからだ。
偉大な人間とは、偉大な伝統をつくり、示していく人である。
三代の会長に流れる「学会精神」を守り抜いていくかぎり、創価学会は永遠に発展する。それをきょうは明確に言い残しておきたい(大拍手)。