投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月14日(金)22時22分46秒     通報
【名誉会長「霊鷲山」と「彼岸」を語る ②】(2006.9.17)

きょうは学会の会館の建設・整備などのために尽力されている方々も、参加しておられる。
広宣流布の同志が集う法城が、どれほど大切な場所であるか。
日蓮大聖人は、大きな仏道修行の道場を建立するのに貢献した富木常忍をねぎらわれて、こう仰せである。
「一閻浮提第一の法華堂を造ったと、霊山浄土に行かれた時には申し上げられるがよい」(御書995ページ、通解)
皆さま方の功労を、私は永遠に顕彰してまいりたい(大拍手)。

大聖人は、「霊山浄土」について、多くの御書の中で言及しておられる。
「霊山」つまり「霊鷲山」は、釈尊の出世の本懐である法華経が説かれた場所とされる。
釈尊在世の時代、インドで最大の強国であったマガダ国の首都として栄えていたのは、王舎城(現在のラージギル)である。
この王舎城は、五つの山に囲まれた天然の要塞ともいえる都市であった。
その五山のうち、東北に位置する山が霊鷲山である。
頂上には、鷲を思わせる岩が屹立している。それゆえか、「鷲の峰」(グリドゥラクータ)という意味の名があり、中国や日本では漢訳されて「霊鷲山」、あるいは音を写して「耆闍崛山」とも言われてきた。
「霊」の字には「神聖な場所」の意が込められており、単に「霊山」とも呼ばれた。
釈尊は、この霊鷲山で真実の大法を説き残した。
弟子たちは、師のもとで懸命に修行し、師を厳護しながら、師の教えを生命に刻んでいった。
つまり、霊鷲山は、〝師弟共戦の行学練磨の場〟であり、〝師弟不二の広宣流布の舞台〟だったのである。

私も、研究のために、この霊鷲山を訪れたことがある。
1961年(昭和36年)2月4日。初のインド訪問の折であった。今年で45年になる。
夕刻であったため、霊鷲山に登ることはできなかったが、麓まで足を運んだ。
霊鷲山は、徒歩で30分ほどで山頂に到達する小高い山である。
その途中には、数多くの洞窟がある。ある洞穴は、舎利弗や阿難らの弟子が修行し、生活したと伝えられていた。
山頂からは、ラージギル(王舎城)の雄大な景観を一望できる。そして、その山頂には、数十人が座れるくらいの平らな場所がある。そこで、釈尊が説法をしたとされている。
ちなみに、この霊鷲山の近くには、インドでは珍しい温泉が涌いていた。釈尊や弟子たちも、この温泉で沐浴をしたといわれる。

法華経では、この霊鷲山に幾十万もの衆生が雲集したと説かれている。
実際の霊鷲山は、決して大きくはなく、それほどの数の衆生が集まるのは、とうてい不可能であると、私は思った。
戸田先生は、この点について、法華経の会座にいる衆生は、釈尊己心の衆生であると、明快に解釈なされていた。
現実の霊鷲山は、緑が少ない荒涼とした岩山のような所であった。
御書には、この山には、遺体を捨てる場所があり、それを食べる鷲が住んでいるところから「霊鷲山」と名づけられた、とも記されている。〈811ページ〉
その霊鷲山で、壮大な、大宇宙も包含しゆく法華経の会座(=虚空会)が繰り広げられたことに、大聖人は甚深の意義を見いだされている。
そして、「娑婆即寂光」という仏法の真髄の原理を展開されていくのである。
「娑婆」とは、堪忍世界と言われるように、生きていくために堪え忍ばねばならない苦難多き現実世界をいう。
また「寂光」とは、常寂光土のことで、仏が住む荘厳にして清らかな平和な浄土である。
霊鷲山は、まさしく、生老病死の苦に満ちた娑婆世界を象徴している。
その霊鷲山と離れずに、その霊鷲山の中で、「法華経の会座」という寂光土が現出しているのである。
すなわち、真の仏法とは、現実から離れず、現実の真っただ中で、人々の苦悩と真っ向から向き合いながら、その打開の道を説き示すものであった。
そして、苦難に満ちた現実世界を、希望の宝土に転換しゆくのである。
私には、この「娑婆即寂光」の法理が、「霊鷲山」「霊山浄土」という仰せに凝結していると拝することができた。

御書には、こうも記されている。
「法華経を行ずる日蓮等が弟子檀那の住所はいかなる山野なりとも霊鷲山なり」(811ページ)
「惣じて一乗(南無妙法蓮華経を修行せん所は・いかなる所なりとも常寂光の都・霊鷲山なるべし」(同ページ)
「霊山浄土」とは、西方極楽浄土のように、死んだ後に娑婆世界を離れて往生する別世界では、決してない。阿弥陀仏のような他力にすがって往生する所ではない。
御義口伝には、「法華経を持ち奉る処を当詣道場と云うなり此を去って彼に行くには非ざるなり」(御書781ページ)と仰せである。
現実を離れ去って、どこか他の世界に幸福や安穏を求めるのではないのだ。
大聖人は、次のようにも仰せである。佐渡流罪の大難の中で認められた御言葉である。
「私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。
私たちの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺(=インド)の霊鷲山を見、本有の(=永遠の昔から存在する)寂光土へ昼夜に往復されるのである」(同1343ページ、通解)
要するに、大聖人に連なり、広宣流布の魂を燃やして、妙法を実践する人がいる所こそが、常寂光の浄土なのである。
仏法の真髄は、どこか遠くにあるのではない。今、ここに厳然とある。今、ここを離れて、仏法はない。

こうした大聖人の仏法の本義からすれば、特別な「聖地」や「霊地」に詣でなければ成仏できないということは、決してない。
私と対談集を発刊した、国際宗教社会学会の初代会長であったブライアン・ウィルソン博士は、次のように論じておられた。
「日常生活のなかでの信仰実践と、よりよい人間社会を建設していく努力を続けていくことこそ、本来の宗教の使命であるはずである」
学会は、この宗教革命の最先端を堂々と進んでいる。このことは、聡明な皆さま方も明白にお分かりであると信ずる(大拍手)。

伸びゆく人、強い人は、どこが違うか。
まず、声が違う。いい声をしている。
心が充実すれば、声に表れる。
「声仏事を為す」(御書708ページ)である。
声一つで、その人のことがよく分かるものだ。
胸を張り、若々しく、切れ味のいい声で、語らいの輪を広げる。そこから、にぎやかな前進と、勝利へのリズムが生まれる。
一つの対話、一つの会合を大事にしたい。
「あの人の話は素晴らしいな」と讃えられる、魅力あふれるリーダーであっていただきたい。
ともあれ、生き生きと、快活に、さわやかな感動を広げながら進んでいこう! (大拍手)

ブラジルの作家アマードは綴った。
「幸福とは正義を理解することと、勇気や品格のある生活のなかにある」(神代修訳『希望の騎士革命児プレステス』弘文堂新社)
まさに、広布へ進む学会員には、勇気がある。品格が光る。正義のために戦う誇りがある。
フランスの文豪ロマン・ロランは、鋭く述べている。
「行動しないで考えることは、眠ることです」(山口三夫訳「書簡IX  精神の独立」、『ロマン・ロラン全集41』所収、みすず書房)
リーダーは、深き使命と責任を自覚していただきたい。決して鈍感であってはならない。
心を合わせて団結し、未来を担う人材を育てながら、勝利への手を打っていきたい。
私の人生の総仕上げは、いよいよ、これからである。
仏法で説く「永遠の生命」についても、さらに語っていきたい。
今まで語ってきたものが、全体の一部分となるような、さらに本格的な生命論を、真実を、全力を挙げて残していこうと思っている。
また、大勢の方々が日々集う学会本部、日本各地、そして世界各国の会館などの整備も、これからいっそう力を入れていく予定である(大拍手)。

さて、先に拝した御書(19日付)に、「私たちが住んで、法華経を修行する所は、どんな所であれ、常寂光の都となるであろう。
私たの弟子檀那となる人は、一歩も歩むことなくして、天竺(=インド)の霊鷲山を見、本有の寂光土へ昼夜に往復されるのである」(御書1343ページ、通解)との一節があった。
これは、どういうことであろうか。
大聖人は「一生成仏抄」で、「浄土といい穢土といっても、土に二つの隔てがあるわけではない。ただ我らの心の善悪によるのである」と仰せである(同384ページ、通解)。
衆生の一念が転換すれば、煩悩や苦悩に満ちた穢土に、本来の浄土が現れる。
身は娑婆世界にあっても、心は霊山浄土に住することができる、との仰せである。
また大聖人は、「我らは穢土にあっても、心は霊山に住んでいる」、「心こそ大切」(同1316ページ、通解)と述べておられる。
これは、遠く離れた、佐渡の千日尼への一節である。
〈「我等は穢土に候へども心は霊山に住べし、御面を見てはなにかせん心こそ大切に候へ、いつか(早晩)いつか釈迦仏のをはします霊山会上にまひりあひ候はん」〉

「心こそ大切」 ── その「心」とは、具体的には、妙法を受持する「信心」である。
御書には、次のような御文がある。
「そもそもこの車(大白牛車)というのは、本門と迹門の二門の輪を妙法蓮華経という牛にかけ、三界の火宅を生死生死とぐるりぐるりと回るところの車である。ただ、信心というくさびに、志という油をさされて、霊山浄土へまいられるがよい」(同1543ページ、通解)
事実として、この身が現実世界にある限り、悪縁があらわれることは必然である。信心は、三障四魔との絶え間なき戦いにほかならない。
いわんや広宣流布は、三類の強敵との間断なき大闘争である。
その仏道修行を人生の最後まで貫き通し、いささかも揺るがない強盛な信心の一念が、「臨終正念
(=死に臨んでも成仏を確信して、心が乱れないこと)である。
それは人生の最極の勝利の実像であり、仏道修行の完成の尊き姿といってよい。
この「一生成仏の大境涯」こそが、「霊山浄土」を説かれた意義であると拝することができる。
戸田先生は語られた。
「我々の生命の中に、厳然と仏があらわれれば、もう我々には不幸がない。
すなわち、我々が御本尊を拝んでいるということは、気づかなくとも、我々の生命の中に御本尊があらわれている。
我々の体が霊鷲山になる。そこで、大聖人即大御本尊の力が、我々の体に満ち満ちてくるのである」
強盛な信心を燃え上がらせて、広宣流布に戦う人は、来る日も来る年も、その生命の中に霊山浄土が実在するのだ。
私たちは勤行で法華経を読誦している。法華経は、霊鷲山から虚空会へ、再び霊鷲山へ、という構成をとっている。
「現実」から「悟り」へ、そして再び「現実」へ ── 法華経が示す、この壮大な生命のドラマを、わが生命に再現し、生き生きと生きゆくための源泉が、朝晩の勤行である。
仏界の力を現して、悠然と、現実世界の苦難と戦い、勝利していくことができる。
自分自身の生命に、仏界という巨大な力が満ち満ちてくるのだ。
これが、まさに即身成仏である。
この尊き境地は、あらゆる三障四魔に打ち勝ち、鍛え抜かれた偉大なる信心の、無限大の栄光の境涯である。
病苦や老苦、さらに死苦をも乗り越え、勝ち越えた、晴れ晴れとした勝利が無限に続く境地であり、境涯であるのだ。
その大境涯は、亡くなっても、永劫に続きゆく。
宇宙全体にわが身が融け込み、広大無辺なる大境涯となって楽しみ、遊楽しながらの生命活動となっていくのだ。
まさに、「生も歓喜、死も歓喜」の境涯である。
そのための信仰である。そのための信心である。
この即身成仏の境地について、大聖人は、「い(生)きてをはしき時は生の仏・今は死の仏・生死ともに仏なり、即身成仏と申す大事の法門これなり」(御書1504ページ)と仰せである。

大聖人は、御書の随所で、「法華経を修行し抜いた人は、亡くなってから霊山浄土に行くことができる」と示されている。
たとえば、「如説修行抄」には次のように仰せである。
「命が続いている限りは、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と題目を唱えに唱え抜いて死ぬならば、釈迦・多宝・十方の諸仏は、霊山会でお約束されたことなので、たちまちのうちに飛んできて手を取り肩に担いで霊山へと走ってくださるのである。
その時は、二聖(=薬王普薩と勇施菩薩)、二天(=持国天王と毘沙門天王)、十羅刹女は法華経を受持した者を助け護り、諸天善神は天蓋をさしかけて旛を立て、私たちを守護して、功徳に満ちた永遠の仏国土へと必ず送ってくださるのである。なんとうれしいことか、なんとうれしいことか」(同505ページ、通解)
さらにほかにも、「よくよく信心を強盛にして霊山浄土にまいりなさい」(同1226ページ、通解)、「ただ一心に信心を持たれて霊山を期しなさい」(同1227ページ、通解) ── 等々、霊山浄土を約束された御聖訓は多い。
ただし、「亡くなって霊山浄土に行く」といっても、当然のことながら、念仏の西方極楽浄土のような別世界に行くのでは、絶対にない。
尊き巨大な宝塔が現れ、全宇宙から仏が来集した法華経の会座の様相が示しているように、霊山浄土は宇宙そのものなのであり、宇宙の全体なのである。
したがって、霊山浄土とは、宇宙のどこかに偏って存在しているというものではないのだ。
そんな偏頗なものではなくして、宇宙全体の大きさ、深さと同等に、わが一念、わが生命は、妙なるリズムを刻み、歩んでいくのだ。
ゆえに、先にも述べたように、いずこであれ、信心・修行をしているその場が、一歩も行かずして霊山浄土なのである。
そして、この正しき信心を貫き、偉大なる正念を確立した人が亡くなると、その生命は、宇宙全体を余すところなく我が生命とできるような、広大無辺なる境地にいたって、歓喜していけるのである。
そのことを、戸田先生は、「大宇宙の仏界に溶け込む」と言われた。
ここに「霊山浄土」の内実があると拝されるのである。

ともあれ、「霊山浄土」は、信心を貫き通して、一生成仏を果たした人が、等しく到達できる大境涯の仏の世界である。
したがって、そこでは、深き生命の次元で、師弟が出会い、親子・夫婦・兄弟が出会い、わが同志たちが出会うことができる。これが真実の法則なのである。
たとえ、今世で相まみえることができなかったとしても、「霊山浄土」において、妙法の師弟、妙法の同志、妙法の家族として巡り会うことができるのである。
これが真実の生命の実態なのだ。
身延におられる大聖人と再びお会いする機会がなかった、佐渡の年配の門下・国府尼に対して、大聖人は、「霊山浄土」での師弟の再会を教えておられる。
「日蓮を恋しく思われるならば、出づる太陽、夕べに出づる月を常に拝されるがよい。私は、いつでも日月に姿を浮かべる身です。また、今世を終えたあとは、ともに霊山浄土にまいり、お会いしましょう」(同1325ページ、通解)
さらに、最愛の我が子・弥四郎を失った母・光日尼にあてたお手紙では、こう述べられている。
「今の光日上人(光日尼)は、わが子を思うあまり法華経の行者となられた。よって必ず母と子がともに霊山浄土へ参ることができよう。そのときのご対面は、どんなにかうれしいことであろう。どんなにかうれしいことであろう」(同934ページ、通解)
同じく、わが子・五郎(南条時光の弟)を突然亡くした上野尼御前(南条時光の母)へのお手紙では、こう綴っておられる。
「(亡くなられたご子息に)やすやすとお会いになる方法があるのです。釈迦仏を御使いとして、霊山浄土へ参り、会われるがよいでしょう。
(法華経方便品第二に)『若し法を聞く者あらば、一人として成仏せずということ無けん』と言って、大地をさして外れることがあっても、日月は地に落ちられても、潮の干満がなくなる時代はあっても、花は夏に実にならなくても、南無妙法蓮華経と唱える女性が、愛しく思う子に会えないということはない、と説かれているのです。急いで急いで唱題にお勤めなさい、お勤めなさい」(同1576ページ、通解)
霊鷲山で説かれた法華経の会座は、地涌の菩薩が滅後末法の娑婆世界の広宣流布を誓願する場所であった。
地涌の菩薩は、この「霊山浄土」から使命を果たすために娑婆世界へと出発し、また、使命を果たし終えて、「霊山浄土」へ再び還っていく。
したがって、霊山浄土とは、地涌の菩薩にとって「永遠の生命の故郷」であり、「永遠の妙法の同志の世界」なのである。
そして、永遠に満足と勝利と、最高の意義深き生命の回転をなしゆくことができる「常楽我浄」の世界なのである。

大聖人は「開目抄」で、御自身の不惜身命の精神と、広宣流布の大願を明かされた。そして、門下一同に師弟不二の信心を呼びかけておられる。
「我並びに我が弟子・諸難ありとも疑う心なくば自然に仏界にいたるべし、天の加護なき事を疑はざれ現世の安穏ならざる事をなげかざれ、我が弟子に朝夕教えしかども・疑いを・をこして皆すてけんつた(拙)なき者のならひは約束せし事を・まことの時はわするるなるべし」(御書234ページ)
これまでも心肝に染めてきた御聖訓である。これが学会精神の根幹である。
さらに、それに続いて「我法華経の信心をやぶらずして霊山にまいりて返てみちびけかし」(同ページ)と仰せである。
師弟不二の信心とは、苦難のときこそ、師と共に、一歩も退かず、広宣流布の大願に生き抜いていく信心である。
この師弟不二の信心を断じて破らず、勇敢に貫き通す大生命にこそ、霊山浄土の大境涯が三世永遠に豁然と開かれるのである。
そして自らの眷属も、全部、霊山浄土へと導いていくことができる。
一方、師弟の約束を、まことの時に踏みにじった忘恩背信の退転・反逆の輩は、霊山浄土には絶対に行くことができない。
必ず無間地獄に堕ちて、無量劫を経たのちに、再び日蓮の弟子となって成仏することができると、大聖人は説かれている。

健気な信心を貫いた人は、霊山浄土で、釈迦仏・多宝仏・十方の諸仏に迎えられ、これらの仏に親しく対面している ── 大聖人は、こう仰せである。
佐渡の門下であった阿仏房が亡くなった後、妻の千日尼を励まされた御聖訓には、次のように記されている。
「亡くなられた阿仏房の聖霊は、今、どこにおられるであろうかと人は疑っても、法華経の明鏡をもって、その影を浮かべてみるならば、霊鷲山の山の中、多宝仏の宝塔の内に、東向きに(釈迦・多宝の二仏と向かい合って)座っておられると、日蓮は見ております」(同1319ページ、通解)
阿仏房は妻の千日尼とともに、大難のなかで、大聖人を支え抜いた。
それは、まさしく、大聖人の法華弘通の大願を支え、実現していく戦いであった。
その心は、「地涌の菩薩」の心そのものであった。
この阿仏房夫妻の永遠の勝利の大境涯を、大聖人が御約束してくださっているのである。
今、全世界の同志が、仏意仏勅の広宣流布の団体である創価学会を支えてくださっている。
この地涌の信心を貫き通すならば、現世は常に、仏界の生命が涌現して安穏である。亡くなった後もまた、霊山という安心立命の「生命の故郷」に住することができる。
反対に、広宣流布の大願を忘れ、安逸に堕し、名聞名利・私利私欲にとらわれる。
ついには、大恩ある学会に、かえって弓を引いて、異体同心の和合僧を破壊しようとする。
そうした反逆者の罪は、あまりにも深い。

ともあれ、霊鷲山の儀式(虚空会の儀式)それ自体が、仏の宇宙大の生命をあらわしている。
大聖人は、地涌の菩薩の〝棟梁〟として、御自ら広宣流布の大願に生き抜かれた。
そして、法華経の会座を用いて、御自身の大境涯を、御本尊としてあらわしてくださったのである。
この御本仏の生命の大功徳は、すべて御本尊に納まっている。中央には、厳然と「南無妙法蓮華経日蓮」とお認めである。
大聖人は、御義口伝で、御本尊こそ霊山の儀式をあらわし出したものであることを明かされ、そのお姿を「霊山一会儼然未散(=霊山の一会は儼然として未だ散らず)」(同757ページ)と示されている。
また、大聖人と同じく、南無妙法蓮華経を唱え、妙法を実践する所には、霊鷲山の儀式が厳かに現前する。そして、永遠に消えることはない。

現代において、この甚深の義を会得して立ち上がった広宣流布の指導者こそが、牧口先生であり、戸田先生である。
大宇宙に本来具わる大生命力が、人間の価値創造の力の源泉である。
そして妙法こそ、この大生命力の本体である ── 牧口先生は、こう確信なされた。
そして、大弾圧にも最後まで退くことなく、壮絶な殉教をされたのである。
戸田先生は、牧口先生との師弟の道を貫き、獄中生活を強いられた。
その獄中で、唱題と思索を重ねていったとき、まさに、法華経の会座に地涌の菩薩として参列している自身を感得された。
「霊山一会儼然未散」を身をもって体験されたのである。
この地涌の使命の自覚をもって、戸田先生は学会再建に立ち上がられた。
そして、七十五万の地涌の菩薩を呼び出す、大法弘通の大願に生き抜かれたのである。

日淳上人は、こう語っておられた。
「法華経の霊山会において上行を上首として四大士(=四大菩薩)があとに続き、そのあとに六万恒河沙の大士の方々が霊山会に集まって、必ず末法に妙法蓮華経を弘通致しますという誓いをされたのでございます」
「その方々を(戸田)会長先生が末法に先達になって呼び出されたのが創価学会であろうと思います。即ち妙法蓮華経の五字七字を七十五万として地上へ呼び出したのが会長先生だと思います。
この全国におられる七十五万の方々が、皆ことごとく南無妙法蓮華経の弘法に精進されまするならば、釈尊もかつて予言致しましたように、末法に広宣流布することは、断乎として間違いないところでございまする」
「皆様方が相い応じて心も一つにし、明日への誓いを新たにされましたことは、全く霊山一会儼然未散と申すべきであると、思うのであります。
これを言葉を変えますれば真の霊山浄土、仏の一大集まりであると、私は深く敬意を表する次第であります」〈1958年(昭和33年)5月3日、学会の第18回総会で〉
まことに、創価学会の異体同心の和合僧こそ、「霊山一会儼然未散」の姿そのものであるとの意義である。
地涌の使命に立ち上がる。
広宣流布の大願に生き抜く。
これが「御本尊根本の信心」である。
伽藍に仏法があるのではない。いかに権威ぶった儀式を行おうとも、大願の人生を歩まなければ、真に御本尊を尊敬することにはならない。
創価学会こそ、霊山の儀式のままに、末法の広宣流布へ、大願の人生を歩む地涌の菩薩の陣列である。
日蓮大聖人の門下として、広宣流布を目指して異体同心で進む創価学会の姿自体こそ、「霊山一会儼然未散」なのである。

インドの霊鷲山には、山中を歩みゆく釈尊に向かってへあの悪逆の提婆達多が大石を落としたと伝えられる場所もあった。
大恩ある師を裏切り、その命まで奪おうとした「恩知らず」と「嫉妬」の陰謀である。
しかし、仏の命を奪うことは、絶対にできなかった。
広宣流布の和合僧を破壊することも、絶対にできなかった。
反対に、この提婆が生きながらにして、無間地獄に堕ちていったことは、ご存じの通りだ。
霊山浄土は、正義の師弟の〝勝利勝利の山々〟でもあるのだ。

一切は勝負、仏法は勝負である。正義なればこそ、断じて勝たねばならない。
民衆をいじめ、正義を踏みにじる人間とは、断固、戦うのだ。本当の正義の強さ、偉大さを、満天下に示すのだ。
「華果成就御書」には「師弟が相違すれば(師匠と弟子の心が違えば)何ごとも成し遂げることはできない」(御書900ページ、通解)と厳然と仰せである。
悪を鋭く見抜き、どんどん声をあげるのだ。臆病であってはならない。
勇敢なる真実の弟子が、一人立てばいいのだ。
日興上人の「原殿御返事」には、こう記されている。
「大聖人のお弟子(五老僧等)は、ことごとく師敵対してしまった。日興一人、本師(大聖人)の正義を守って、(広宣流布の)本懐を遂げるべき人であると自覚している。ゆえに、大聖人の御本意を忘れることはない」(編年体御書1733ページ、通解)
師弟が心を合わせて唱えゆく、妙法の音声に勝るものはない。
御聖訓には仰せである。
「白馬がいななくのは、我らが唱える南無妙法蓮華経の声である。この唱題の声を聞かれた梵天、帝釈、日月、四天等が、どうして、色つやを増し、輝きを強くされないはずがあろうか。どうして我らを守護されないはずがあろうかと、強く強く思われるがよい」(御書1065ページ、通解)
朗々たる唱題の声が、諸天を動かし、自分自身を厳然と守りゆくのである。

かつて私は、歴戦の不二の同志である、九州の多宝会の集いに、歌を贈った。

朗らかに  集いしこの地が  霊鷲山   皆が仏か  皆が菩薩か

永遠に輝きわたる創価の霊山会に集った、正義の皆さまが、絶対に幸福にならないわけがない。健康にならないわけがない。
最後は断じて、すべてに勝ち抜いていけると決まっているのである。
わが使命の舞台で、人間革命ドラマを成し遂げ、皆に勇気と希望を広げて、広宣流布を進めていく。これが、地涌の菩薩の「霊山の誓い」であるからだ。
私とともに!
同志とともに!
学会とともに!
この誓いを果たし抜く人生を、悠然と勝ち飾っていかれることを念願して、私のスピーチとしたい。
亡くなられた全同志、またご家族や友人の方々の三世永遠の幸福を祈ります。
そして皆さまの一家一族が、ますます栄えていくことを、心から祈っております。
同志の皆さまにも、くれぐれも、よろしくお伝えください。
ありがとう! (大拍手)