投稿者:KS部OB    投稿日:2015年 8月12日(水)10時08分7秒     通報
【信越最高合同会議】(2006.8.24)

今、うれしいことに、全同志の真剣な弘教によって、新しい広宣流布の拡大の波が広がっている。
新たな「地涌の友」が続々と誕生している。
日蓮大聖人は、有名な「諸法実相抄」で仰せである。
「末法にして妙法蓮華経の五字を弘めん者は男女はきらふべからず、皆地涌の菩薩の出現に非ずんば唱へがたき題目なり、日蓮一人はじめは南無妙法蓮華経と唱へしが、二人・三人・百人と次第に唱へつたふるなり、未来も又しかるべし、是あに地涌の義に非ずや、剰へ広宣流布の時は日本一同に南無妙法蓮華経と唱へん事は大地を的とするなるべし、ともかくも法華経に名をたて身をまかせ給うべし」(御書1360ページ)
この御聖訓を、厳然と証明しているのが、わが創価学会なのである。
思えば、戸田先生が第2代会長に就任した1951年(昭和26年)当時、学会の折伏は、なかなか進まなかった。
支部として1カ月の折伏が100世帯を超えることさえ難しく、数十世帯がほとんどだった。
「これでは、広宣流布に何千年もかかってしまう。大作、私はそんなに長生きできないよ」 ── 戸田先生はこう言われて、折伏の突破口を開くよう、私に託されたのである。
翌年の2月、私は東京・蒲田支部の支部幹事として指揮を執り、1カ月で200世帯を超える弘教を成し遂げた。
それまでの限界を大きく打ち破るこの闘争が、先生の願業である75万世帯の折伏達成への突破口を開いたのである。
戸田先生は、私に対しては絶対的な信頼を持っておられた。当時、私より先輩の大幹部は大勢いた。
しかし先生は、「大、大」と言って私を頼りにし、何か重要なことがあれば、すぐに私を呼ばれたのである。

私が戸田先生と初めてお会いしたのは、戦後間もない、1947年8月のことである。
当時、私は19歳であった。
私は青年らしく、先生に、率直に質問をした。
「正しい人生とは、いったい、どういう人生をいうのでしょうか」
先生は、「これは難間中の難問だな」と言いながら、誠実に、明快に答えてくださった。
そして最後に、こう言われたのである。
「正しい人生とは何かと考えるのも良い。しかし、考える間に日蓮大聖人の哲学を実践してごらんなさい。
青年じゃないか。必ずいつか、自然に自分が正しい人生を歩んでいることを発見するでしょう。
私は、これだけは間違いないと言える」
先生の言葉は、大確信に満ちあふれていた。
私は戸田先生を信じ、8月24日に入信した。そして、戸田先生が言われた通りに、真実の「正しい人生」を、歩んでくることができた。
恩師・戸田先生への感謝は尽きない。
今や、わが創価学会が「正しい人生」と「永遠の平和」への指標を、全世界の青年に示していることを、各国の知性から高く評価される時代となった。
国連のチョウドリ事務次長からも、かねてより講演の要請をいただいている。
〈8月30日に東京で会談。名誉会長は国連提言を手渡した〉
私が皆さまを代表して受章した、世界の諸大学などからの名誉学術称号も、200に迫っている。私はこの〝知性の宝冠〟を、偉大なるわが師匠に謹んで捧げたい(大拍手)。
〈アメリカ実践哲学協会会長のマリノフ博士は、こう語っている。
「池田SGI会長に贈られた200に迫る名誉学術称号の真の意義は、『人生のあり方』の博士号にあります。
博士号には、こうした分類はありませんが、これこそが最も大切な分野であるといえます。
『人生のあり方』とはすなわち、人間はどのように生きるべきかと考える学問であり、価値と目的を持って人生を生きるための学問なのです。
そのなかでも、〝他人の幸福に寄与する〟〝自身の幸福は、そうした生き方の中に達成される〟との視点が大切です。これこそが、SGIが世界に発信しているメッセージなのです」
「〝良き生き方〟の実践とは、人と会い、良きメッセージを与えていくことです。それは小さいことのようですが、じつに大切なことなのです。
私たちが、一人の人間に啓発を与えることができれば、その一人が、他の人に良き影響を与えていきます。それによって、社会に〝善〟が広がります。
池田会長の実践の真髄も、そこにあるのではないでしょうか」
「会長は名誉博士号の受章を通して、多くの貢献に対する評価を得ておられます。しかし、根本的に評価されるべきは、良き人生を築くという会長の貢献であります。
世界には、池田会長のような指導者が不可欠なのです」〉

このほど、ソロー、エマソン研究の大家として知られるボスコ博士(ソロー協会前会長)、マイアソン博士(同協会前事務総長)との語らいをまとめた書籍が、毎日新聞社から発刊の運びとなった。〈タイトルは『美しき生命 地球と生きる ── 哲人ソローとエマソンを語る』>
19世紀のアメリカ・ルネサンスの旗手であるソローとエマソンは、私が青春時代から親しんできた偉大な思想家であり、詩人であり、作家である。
語らいでは、この二人の哲人の出会いをはじめ、文学や教育、人権や環境、さらには生死の問題や生命論など、さまざまなテーマをめぐって縦横に論じ合った。
ボスコ博士もマイアソン博士も、私どもの語らいが、大変有意義なものとなったことを、非常に喜んでくださった。
ボスコ博士は、語らいの結びで語っておられる。
「私たちはエマソンとソローの二人が取り組んだ会話の手法 ── あるいはより適切と思われる言葉を使わせていただければ、池田会長が生涯をかけて取り組まれているSGIの理念を反映した『対話』の手法1を実践に移す絶好の機会を得ることができました。
まさに、私たちが参画したような交流を通して、初めて人々の真実の出あいがあるのです」
皆さま方が、日々、実践されている創価の対話運動のなかにこそ、新しいルネサンスへのはつらつたる創造の息吹がある。
エマソンもソローも、偉大なる魂を求め、偉大なる人生を常に志向していた。
そして、卑劣な魂、卑劣な人生を悠然と見おろしていた。
エマソンは、『日記』にこう綴っている。
「私自身が見てきた有名ではない多くの人に、私を驚嘆させ、熟考させ、喜ばせる天分を持っている人が、なんと多いことか」
無名無冠の庶民のなかにこそ、真に偉大な魂、真に偉大な人生が光っている。
私も、入信以来、そうした偉大な「三世の同志」「三世の家族」とともに、戦ってきたことが、無上の喜びであり、誇りである。

12年前の1994年、私は入信記念日の8月24日を、青森県の東北研修道場で、健気な東北の同志とともに迎えた。
その折、尊き広宣流布の母への敬愛と尊敬を込めて、一句を詠んだ。

入信日 この日が来たると 母想う

この8月24日は、私がともに広宣流布の不滅の歴史を刻んだ、二人の忘れ得ぬ「母」が、霊山へと旅立った命日にも当たっている。
一人は、あの「2月闘争」を一緒に戦った、蒲田支部の初代支部婦人部長・白木静子さん(2000年8月24日逝去)。
そしてもう一人は、ともに「文京革命」を成し遂げた、文京支部の支部長であった田中都伎子さん(2001年8月24日逝去)である。
広宣流布の歴史に偉大な足跡を残されたお二人に対し、今なお多くの人から感謝と賞讃の声が寄せられている。
私が、お二人について「わが忘れ得ぬ尊き同志たちよ」で綴った時も、じつに、多くの反響が寄せられた。
〈例えば、白木さんについて、大阪のある婦人部の友からは、次のような声が寄せられた。
「私たち関西草創の友は、庶民的で気さくな大先輩に、親しみを込めて〝白木のおばさん〟と呼ばせていただいていました」
「(激励してくださった同志の中に)股関節に障害のある女子部がいました。彼女の家族は信心反対、その上、交通の便が極めて悪い中を活動していました。
おばさんは、そんな彼女を、わが娘のように包み込み、励まし続けてくださいました。おばさんの温かい言葉と信心の確信に触れ、喜々として戦う彼女。私は、何度、涙したかしれません」
「ほかにも、関西の広布の舞台には、おばさんの激励で幸の人生を開いた女子部、婦人部の方々がたくさんいます」
また、秋田のある婦人部の友は、こう綴る。
「特急列車もないころでした。(白木婦人部長は)夜行列車で十数時間もかけて秋田に通ってくださり、創価学会の〝歴史と確信〟を、私たちの心に染み入るように語ってくださいました」
「品位と優しさ。だれもが慕う笑顔。信心の確信。そのさわやかで、温かな人柄は、私たち婦人部の最高のお手本でした。
『折伏』『個人指導』『家庭指導』を、一つ一つ丁寧に教えられました。そして、どんな質問も包み込むような心で聞いてくださいました。
私たちが勝手に、ぎっしりつまった日程を組み活動した日々。今度はここへと、皆が〝白木のおばさん〟と連れだって折伏に歩きに歩きました。ハードなスケジュールでした。今考えると、申し訳なくて……。
手塩にかけて育てていただいた秋田婦人部。どんな障害も、どんな広布の敵にも、一歩も退かず責め抜き、勝利の道を開くことができました。
初代婦人部長の『学会厳護』の精神が、私たちの心に脈々と生き続けているからです」〉

御聖訓には、「心を一にして南無妙法蓮華経と我も唱へ他をも勧んのみこそ今生人界の思出なるべき」(御書467ページ)と説かれている。
どんなに華やかな出来事も、やがて時とともに色褪せ、いずれは忘れ去られてしまう。
しかし、地味であったとしても、広宣流布のために動いたこと、語ったこと、苦労したこと、戦い切ったことは、時が経てば経つほど、深い光を放っていくものだ。
二人に共通するのは、一生涯、生き生きと「行学の二道」に励み抜いたことである。
さらに、報恩感謝の心で、一生涯、「師弟の道」を歩み抜かれたことである。
そして一生涯、「学会厳護」のために、破邪顕正の勇気で戦い切ったことである。
田中さんのご家族も、お母さんの思い出といえば、学会活動をしている「後ろ姿」だという。
田中さんは、家族に対しても、師弟の精神について、さまざま語っておられたとうかがった。
〈田中さんは、こう述べていたという。
「過去のことばかり話す人がいる。しかし、それは成長していないということです。
もちろん歴史の事実や精神を語り残していくことは大事です。
しかし、本当に大事なのは、過去ではない。今の池田先生の呼吸 ── 池田先生が、今、何を指導されているか。池田先生の今の呼吸は何か。
ここに、自分の一念を合わせて戦っていくことが根本です。だから、成長し続けなければならないし、成長し続けられるのです」
「池田先生は『文京支部の人は、いい人ばかりだ』と言ってくださる。
しかし、それは違う。池田先生が、一人一人の良いところを引き出してくださった。使命を果たさせてくださったのです」
「先生が指揮を執ってくださった。先生に全部教えていただいて、夢中でついていって、ただただうれしくて、知らないうちに結果が出ていたのです」
「幹部が、池田先生のおっしゃる通りに、ただ ただ真面目に、先生についていけば、組織は必ず勝ち、発展する。
『師匠のおっしゃる通り』 ── これに尽きる。人に紛動される人は、心に先生がない。先生がないと魔につけいられる」
「いつも、ひどい目にあわされているのは、池田先生お一人である。
言論問題の時も、宗門問題の時も、いつも矢面に立ち、一切を、お一人で受け切ってくださっている。
そして、それを敢然と打ち破って、今日の世界広布の基盤をつくってくださった大恩は、到底、口では言い表すことはできない」、
「一生涯、どんな立場にあろうとも、報恩感謝の実践あるのみです」〉

偉大なる婦人部の大先輩の激闘があればこそ、学会は未曾有の大発展を遂げることができた。
私は、ともに戦ってくださった皆さまのことを決して忘れない。日本中、世界中の功労者の方々の追善回向を、日々、妻とともに真剣に行っている。お題目を送り続けている。
〈上智大学の故・安斎伸名誉教授は、かつてこう述べていた。
「注目すべきは、このような会員への指導性(=青年の育成と教学の深化)を広く浸透させるなかで、創価学会における婦人層の活動を高められたことです。名誉会長は折々の指導のなかで、広宣流布における婦人の使命と希望への道を示されています。
名誉会長のこれらの期待に応え、婦人が広宣流布に惜しみなく力を注いだからこそ、今日の学会があると言っても過言ではありません。これはまた、21世紀に更に学会が発展する大切な基盤でもあります」〉

ここで、世界の英知の言葉を幾つか紹介したい。
18世紀イギリスの歴史家ギボンは書いている。
「人間のあらゆる感情欲望のうち権力欲は最も傲岸な非社会的性質に属する。けだし一人の人間の傲慢が多衆の服従を要求するからである」(村山勇三訳『ローマ帝国衰亡史(1)』岩波書店)
権力の魔性ほど恐ろしいものはない。戸田先生は、このことを繰り返し訴えておられた。
古来、「帝王学の教科書」とされてきた中国の『貞観政要』には、こう記されている。
「そもそも〔天下を取ろうとして〕深く憂い悩んでいるときには、必ず誠意を尽くして下の者を厚く待遇するが、志を達してしまえば欲情をほしいままにして人に対して傲慢になります」(原田種成著『新釈漢文大系第95巻』明治書院)
鋭い指摘である。
牧口先生が獄中で読まれ、戸田先生も学ばれたドイツの哲学者・カントは「高慢は阿呆である」(清水清訳『人間学・教育学』玉川大学出版部)と述べている。
人々の恩を忘れ、自分の力で偉くなったと思い上がる!傲慢ほど、愚かなことはない。
戸田先生は、傲慢な人間には容赦なかった。
庶民の尊い真心に支えられて偉くなりながら、その大恩を忘れ、仇で返すような悪党は絶対に許すなと叫ばれた。
学会は王者の世界である。卑しき人間とは断じて戦え! 追撃の手をゆるめるな!  ── これが師の遺言であった。

中国の『十八史略』には、3世紀の中国で「竹林の七賢」と言われた一人、山濤が語った言葉がある。
「外患が治まれば、かならず内憂が起こる。これは聖王でもないかぎり避けることのできぬ運命なのだ」(奥平卓・和田武司訳『十八史略IⅡ』徳間書店)
外部に敵がいなくなれば、今度は内部に問題が、起こってくるとの指摘である。
アメリカの女性参政権の獲得に奔走した、19世紀の作家オルコットは、小説の中で綴っている。
「貧乏は何も恥ずべきことではない、不正こそ恥ずべきことだ」(吉田勝江訳『昔気質の一少女』角川害店)
また、古代ギリシャの哲学者プラトンは述べている。
「智慧は善く、無学は悪いのだろう」(岡田正三訳『プラトン全集第1巻』全国書房、現代表記に改めた)
「学は光」である。
生涯、学び続けることだ。成長し続けることだ。その人が、人生の勝利者と光っていくことができる。

『十八史略』には、次のようなエピソードが綴られている。
後漢の時代、賢人と名高かった知事の楊震が、ある人物から賄賂を差し出された。
「夜中のことゆえ、だれも気づいておりませぬ。安心してお受け取りください」
しかし楊震は、きっぱりと拒絶した。
「天が気づいておるし、地が気づいておる。きみも気づいておるし、わしも気づいておる。どうして、だれも気づいていないなどといえるのだ」(前掲『十八史略Ⅲ』から)
天知る、地知る、子(=きみ)知る、われ知る ── 「楊震の四知」と言われる名言である。
どんな悪事も、必ず露見する。ましてや自分の心をごまかすことはできない。指導者には、だれよりも潔癖さが求められるのである。
自身のなかに確固たる規範はあるか。哲学はあるか ── それによって、人物の偉大さは決まる。
近代日本の思想家・内村鑑三は、こう述べている。
「本当の宗教は最大の偉人を作った、最大の哲学者、最大の詩人、最大の美術家、最大の政治家、最大の実業家はすべて熱心なる宗教家であった」(『内村鑑三著作集第17巻』岩波書店、現代表記に改めた)
「国民は宗教を信ずるを可とし、政治家は之を信ずるの必要なしと云う理由は少しもありません」(『内村鑑三著作集第4巻』同)
傾聴すべき言葉であろう。

中国の大詩人・白楽天は、生命を支える農業を放棄して金や銀を探すのに夢中になっている人々のことを慨嘆し、こう綴った。
「本を棄てて末に趨り、本業を廃して金銀を貪っている。こんな事をしていると一時の富は得られようが永久の損失を招くことになる」(佐久節訳注『白楽天全詩集第1巻』日本図書センター、現代表記に改めた)
一獲千金ばかりを夢見て、地道な本来の仕事を放棄すれば、取り返しのつかないことになるとの警句である。
内村鑑三は、成功の秘訣として、「濫費は罪悪なりと知るべし」(前掲『内村鑑三著作集第17巻』)と記した。
贅沢に染まれば、やがて人間は堕落していく。
多くの歴史が教えるところである。
内村鑑三はまた、「誠実に由りて得たる信用は最大の財産なりと知るべし」(同)とも書き残している。
誠実に勝る財産はない。戸田先生も、このことを何度も言われていた。
イギリスの歴史家カーライルも述べている。
「誠実 ── 深く、大きく、純なる誠実こそ、総じて苟くも英雄的なる人物の第一の特性ともいえよう」(老田三郎訳『英雄崇拝論』岩波書店)
誠実が、人々の心を動かす。われわれは誠実の行動で勝つのだ。
私は毎日、広宣流布のため、全世界の友のために、真剣に戦っている。誠心誠意、あらゆる手を打っている。
どうか全リーダーの皆さまも、私とともに、最高に価値ある一日一日を築いていっていただきたい(大拍手)。

「壮年部の日」(8月24日)、おめでとう! (大拍手)
壮年部の模範として、素晴らしい活躍を示してくださっているのが、各地の「太陽会」(平日昼間の時間帯に活動する壮年部)の方々である。
皆さんが名称に冠しておられる「太陽」について、少し紹介したい。
太陽で生み出されるエネルギーは毎秒、およそ「4兆キロワットの1000億倍」という、莫大な規模である。〈3・8×10の26乗ワット〉
地球に到達するのは、その22億分の一だが、それでもわずか30分で、世界の年問エネルギーの必要量を満たすという。
太陽は、その陽光で、日々、地球を照らし、万物を育んでくれている。
とともに、太陽は、太陽系を包み込むように、「太陽圏」という領域をつくり出している。
この太陽圏は、太陽から吹き出す物質の流れである「太陽風」の及ぶ領域のことである。
太陽風は、地球周辺では超音速で吹き抜けており、届く距離は約180億キロメートル。太陽と地球の距離の約120倍である。
実は太陽系は、この太陽風の働きによって、「星間風」(=星間ガスやちりの流れ)から守られているのである。
さらに太陽風は、地球上の生命を脅かす「高エネルギー宇宙線」からも同様に、太陽系を守っている。
もし太陽圏がなかったら、地球には今の5倍以上の宇宙線が到達し、生命にも重大な影響を与えるのではないかと言われている。

太陽会をはじめ、壮年部の方々が立ち上がると、温かな陽光が射したように、婦人部も、青年部も、皆が喜ぶ。
さらに、人生経験の豊かな力ある壮年部の方々は、地域に、また社会に深き信頼を広げておられる。
まさしく「太陽風」のように、陰に陽に、わが同志を、そして、わが学会を厳然と護る、安全地帯を形成してくださっている。
各地の壮年部、太陽会の皆さんの、ますますのご健康とご長寿を祈っています!(大拍手)
〈「太陽圏」「太陽風」等については編集部でまとめる際、藤井旭著『VISIBLE宇宙大全』作品社、沼澤茂美・脇屋奈々代著『140億光年のすべてが見えてくる宇宙の事典』ナツメ社などを参照しました〉

各地で新しいリーダーが誕生している。
何度も申し上げるが、指導者は、まず誠実であることだ。
誠実にかなうものはない。誠実さがないところに、愛情もない。論理も包容力も、ユーモアもなくなる。笑顔も、知恵もなくなる。
誠実さを欠いて、偉ぶり、焦り、感情的な策を弄するリーダーは嫌われる。
広宣流布の前進において、気取る必要は一切ない。ざっくばらんでいい。ありのままでいい。 そうでないと、周りが安心できない。
同志が安心できるような、大人物になっていただきたい。
大人物とは、大きな心をもち、多くの人を、確かな幸福へと導ける人である。
そのためには、尊き仏子である学会員の皆さまに仕えることだ。また、御本尊に仕えることである。
私は、そうしてきた。
さまざまな人がいるから、当然、忍耐が必要な場合もある。
しかし、自分自身を変革して、周囲から信頼を勝ち取ることは、諸天善神からの讃嘆に通じるのである。
仏とは、どこか他の場所にいるのではない。ここにいる。
この自身の生命に具わる仏の生命を、開いていくのだ。
いかなる動きも、すべて「仏界所具」の働きにしていける。また、菩薩の働きに変えていけるのである。
また、創価のリーダーは、徹して女性に感謝し、ほめたたえていくことだ。
男女同権であり、平等だ。健気に戦う婦人部、女子部の皆さんを馬鹿にする人間を、絶対に許してはならない。
女性を尊重すれば、学会はさらに発展する。
新田次郎氏の小説『芙蓉の人』で、女性の主人公は語っている。
「なにかにつけて、女を軽蔑する男は許せません。そういう男の存在は日本の将来に決していいことではありませんわ」(文春文庫)
その通りである。学会も、この点を重々、銘記していかねばならない。

また、〝役職が上になればなるほど、偉い。成仏に近い〟などという考え方は、日蓮大聖人の仏法にはない。広布の役職は、誉れある「責任職」である。
いわんや、社会的な肩書や立場、学歴など、信心の世界には関係ない。
だれ人も尊厳であり、だれ人にも成仏の可能性が平等に開かれているのが、大聖人の仏法である。
幹部だからといって、「自分は特別である」とか、「自分は十分に戦ってきた」などといった安直な考えに陥ってしまうならば、魔に付け入られてしまう。
その意味で、これまで戦ってきた人、また責任ある役職についている人ほど、常に信心の原点、信仰の出発点に立ち返ることだ。
そして、はつらつたる「発心の生命」「初心の生命」を生き生きと燃え上がらせることだ。
微妙な、しかし重大な「一念」の違いによって、後退してしまうか、成仏の総仕上げを飾ることができるかが決まる。
ここに、大聖人の仏法の要諦があると拝することができる。
信心も、人生も、途中ではない。最後で決まる。その勝利を飾るために、師弟がある。
私も常に、戸田先生の弟子として、広宣流布の戦いを開始した出発点に立ち返っている。
そして、どんな時でも、戸田先生と二人で、心と心、生命と生命の対話を交わしながら、行動している。ゆえに、絶対に行き詰まることはない。

さらに、勝利の条件、リーダー論などについて、古今の箴言、戸田先生の指導から学んでいきたい。
フランスの文豪ロマン・ロランは、ルネサンスの巨人ミケランジェロを通して述べている。
「偉大な魂は高い山巓(=山頂)のようである。風が吹き荒れ雲が包んでしまう。けれどもそこでは他のどこよりも充分にまた強く呼吸できる。空気は清く心のよごれを洗い落す。そうして雲が晴れると、そこから人類を俯瞰できる」(高田博厚訳『ミケランジェロの生涯』岩波文庫)
また、次のようにも綴った。
「決して危難と苦悩とが、すぐれた魂の人々を立往生させたことはない。逆に、危難と苦悩とが、すぐれた魂たちをつくり出す」(片山敏彦訳「内面の旅路」、『ロマン・ロラン全集17』所収、みすず書房)
思わぬ悩みや困難が、人間を鍛える。人生の風雨に鍛えられれば鍛えられるほど、大きく境涯を開き、悠々と歩んでいける。
アメリカの人権の父キング博士は訴えた。
「世界の最も影響力ある人物たちの中には、自分の茨を冠に変えた人々が多い」
「力強く生きるということは常に、そのように自己の魂と自己の置かれた状況に打ち勝つことを含んでいるのである」(蓮見博昭訳『汝の敵を愛せよ』新教出版社)
私の60年にわたる闘争を振り返っても、まったくその通りだと思う。
フランスのド・ゴール将軍は、同志に訴えた。
「成功はふたつの条件を満たさなければ得られないのです。すなわち、団結と確固たる態度とです」(村上光彦・山崎庸一郎訳『ドゴール大戦回顧録IV』みすず書房)
また、私が対談集を発刊した、フランスの〝行動する作家〟アンドレ・マルロー氏は、『希望』と題した小説に記している。
「戦闘の流儀がいくらでもあるはずはない。たった一つしかないのだ。それは勝利者となることだ」(小松清訳『世界文学全集41』河出書房新社)
いかにすれば広布を進められるか。皆が勝利できるか。これが一切の焦点である。

〝ウクライナのソクラテス〟と謳われる哲学者スコヴォロダは語った。
「幸福は、精神的な心の快活さの中にある」
快活であること。それ自体が、人生において大きな力である。
あのナイチンゲールの看護を受けた患者は、感謝を込めて、こう回想している。
「意気消沈している者を元気づけるその力は、実にすばらしかった」
「活き活きした楽しい話しぶりは、何とも言えず、心を引き立ててくれた」(中村妙子訳、エドワード・T・クック著『ナイティンゲール その生涯と思想I』時空出版)
人に希望を与える人は、菩薩の働きをしているのである。
イギリス・ロマン主義の文学者ハズリットは「希望は最良の財産である」と綴った(中川誠訳『ハズリット箴言集』彩流社)。
その通りだ。この「希望」を、どのようにして友の心に広げていくか。それが、学会活動の挑戦である。

勝利のためには、何が必要か ── 。古代インドの政治家カウティリアは記している。
「常に行動的で、災禍において自軍を敵から守れ。常に行動的で、敵たちの軍の弱点を攻撃せよ」(上村勝彦訳『実利論』岩波文庫)
これは、あらゆる戦いの鉄則であろう。
「まず、動く」ことだ。そこから、必ず勝利の道が開かれる。
「敵を完全に降伏させるまでわれわれは戦うだろう」「すべての手段で戦うのだ。まずなによりも行動を起こせ!」
これは、ドイツの劇作家ブレヒトの一節である(岩淵達治訳「ホラティ人とクリアティ人」、『ブレヒト戯曲全集第8巻』所収、未来社)。

アフリカ・ガーナの初代大統領エンクルマは独立を勝ち取って、こう叫んだ。
「われわれの闘いがまだ終っていないことを、われわれは忘れてはなりません。われわれはたんに新しい局面に移動しただけなのであります」(野間寛二郎訳『自由のための自由』理論社)
あらゆる戦いを決する力は、執念である。
〝ひとまず戦いは終わった〟というところから、実は、次の戦いが始まっている。
イギリスの歴史学者トインビー博士は、こう記している。
「創造的な人間が、ある事業を成就したのちにおちいりがちな受動的な錯誤は、昔大いに努力したから、『その後はずっとしあわせに暮す』資格があると夢想して、愚者の楽園で『漕ぐ手を休める』ことである」(桑原武夫・樋口謹一・橋本峰雄・多田道太郎訳『図説 歴史の研究 Ⅰ』学習研究社)
人間の心理を突いた一文である。
大聖人は、御書に何度も仰せである。
「然どもいまだこりず候」(御書1056ページ)
「日蓮一度もしりぞく心なし」(同1224ページ)
「今に至るまで軍やむ事なし」(同502ページ)
「いよいよ・はりあげてせむべし」(同1090ページ)
攻めて攻めて攻め抜いて、押して押して押し切って、戦って戦って戦い抜いた時に、はじめて、栄光の旭日が昇る。勝利の旭光が輝く。
大聖人は、そのことをだれよりもご存じであられた。
先に紹介したロマン・ロランは、「水滴の執拗さがついには岩をも侵食するのです」と、友に書き送っている(山口三夫訳「シュテファン・ツヴァイクとの往復書簡」、『ロマン・ロラン全集38』所収、みすず書房)。
勝利するといっても、地道な、たゆみない努力の連続である。
「いよいよ」の心で、下半期も進んでまいりたい!(大拍手)

ドイツの哲学者ショーペンハウアーの戒めに、こうある。
「すべて偉大で美しいものは、それ自身のために存在するはずのものだが、いろいろな欲望のために食いものにされるのだ。
その欲望は四方八方から寄ってきて、偉大なものに寄りかかり、それに足場を得ようとする。けっきょくそれを覆いかくし台なしにするのだ」(秋山英夫訳『ショーペンハウアー全集14』白水社)
人類の希望であり宝である創価学会を、厳然と護り抜かねばならない。
有名な「イソップ物語」には、次のような厳しい一言があった。
「嘘つきはそれをあばくものがいない時には特に法螺を吹くものです」
「邪悪はたといどのような親切を尽してやっても、善くなることのないものだ」(山本光雄訳『イソップ寓話集』岩波文庫)
これが、人の世の常かも知れない。
悪質な嘘や、邪な動きを許せば、つけこまれるだけである。それでは学会員が苦しみ、損をするだけだ。こんな愚かしいことはない。
ロマン・ロランは、鋭く指摘している。
「人は少しばかりの悪を防ぎ、少しばかりの善をすることを口実にして全体の卑怯さを許そうとします。
このなまぬるい善良さは一番わるい悪徳です」(片山敏彦訳「時は来らん」、『ロマン・ロラン全集9』所収、みすず書房)
本質を突いている。
〝生ぬるい〟戦いは無意味なのではなく、かえって悪だというのである。

仏法は勝負だ。大聖人は、厳然と仰せになられた。
「念仏者たちにたぶらかされ、日蓮をうらみに思われたので、(ある有力な権力者は)その本人も、また一門も、皆、滅びてしまわれた」
「両火房(=良観)を信じ用いられている人が、栄えているとお思いになりますか」(御書1093ページ、通解)
仏意仏勅の創価学会に敵対した輩も、すべて、この御聖訓に違わぬ末路をたどっていることは、皆さま方が目の当たりにされてきたとおりだ。
戸田先生は、大聖人の時代の厳しい現証についておっしゃっていた。
「大聖人御在世において、大進房はじめ幾人かの愚かな大謗法の者が出た。しかし最後は、はかなく人生を終えている。
二祖日興上人の時も、五老僧等の名聞名利を求める輩がいたが、正法正義の嫡流の団結によって、彼らは衰微している」
弟子の団結で師の正義を証明する。これが、大聖人門下の誉れである。
また、戸田先生は語られた。
「『異体同心なれば万事を成ず』だよ。
『異体』は、各自の境遇であり、自己の個性を最大に生かす生活だ。
『同心』は、信心であり、広宣流布という目的への自覚だ。
私をはじめ全員が、大聖人の御聖訓のままに進む。これが学会精神である」
この精神で、学会は永遠に進もう!(大拍手)

8月24日は、戸田先生と二人で、将来の新聞の構想を語り合った日でもある。
それは、昭和25年(1950年)の8月24日。
当時は、戸田先生の事業が最悪の苦境に立たされていた。
戸田先生は、ともに新聞記者の取材を受けた後、言われた。
「一つの新聞をもっているということは、実に、すごい力をもつことだ。学会も、いつか、なるべく早い時期に新聞をもたなければいけない。大作、考えておいてくれ!」
聖教新聞の原点も「師弟」である。
先生は、口ぐせのように言われていた。
私は聖教新聞を、日本中、世界中の人に読ませたい。それ自体が、仏縁を結ぶことになる。折伏に通じる」と。
さらに力強い広布の機関紙として、果たすべき使命は大きい。

さらに戸田先生の指導を拝したい。
先生は常々、「目にははっきりと見えないかもしれないが、功徳は必ずや生命から生命へと伝えられていくのだ」
「亡くなった人には、題目を唱えて祈念する以外に何も通じないのだ」とおっしゃっていた。
私たちの信心の功徳は、先祖代々、子孫末代にまで必ず及んでいく。そして、福徳薫る、一家和楽の実証を築くことができる。
また、「願いのみして行をせぬ、といったような横着な信心では、けっして願いはかなわぬ」とも言われていた。
信心の行動を起こしてこそ、祈りは叶う。大いなる祈りが、大いなる行動につながる。そして、大いなる結果を生むのである。

戸田先生の折々の指導は、いつも実質的であった。
「しばらく呼吸を整えたら、次の目標へ前進前進。そのためには形式主義を一掃せよ。本当の仕事を重んじろ」
形式にとらわれ始めると、組織も硬直する。常に心して、悪しき形式主義を破らねばならない。
「頭があれば指揮は執れる。頭は、勝つために考えるものだ」とも言われていた。
竹を割ったように単純明快で、要を得ている。
リーダーは、とにかく頭を使わなければならない。頭を使うのは、タダである。使わなければ損である。

青年を愛する戸田先生は、「人材は訓練しなければ人材とはならないのだよ」と言われた。
また、「大聖人の弟子は師子王の子の如し。師子の子は、鍛えれば鍛えるほどたくましくなる」「広宣流布といっても、要は人材の城をつくることだ」とおっしゃっていた。
中国の古典『管子』には、こうある。
「一を植えて十の収穫があるのは木材、一を植えて百の収穫があるのは人材である」(諸橋轍次著『中国古典名言事典』講談社学術文庫)
「地涌の人材」を見いだし、育成し、そして団結していく。これほどの大偉業はない。
戸田先生の構想は、常に青年とともにあった。
「広宣流布の大事業は、新しい時代に応じた、新しい熱と力が不可欠なのだ! それには、青年が立つことだ。青年の力を信ずることだ」
私も、まったく同じ思いでいる。いつの時代も、青年の熱と力が、時代を変える。
青年部の諸君に、近代ロシアの詩人マヤコフスキーの詩の一節を贈りたい。
「はこべぬ重荷を/はこぶぼく。/投げ出したいけど、/いや、/投げ出さないぞ!」(小笠原豊樹訳『マヤコフスキイ詩集』彌生書房)
人間は、真に責任を担い立ったとき、真に高貴となる。その時に、真実の底力が発揮される。
戸田先生は、ある時に笑顔でおっしゃった。
「戦いは、いよいよ、これからだよ。楽しく、また断固として一緒に、戦おうじゃないか!」
この恩師の師子吼を、ともどもに胸に響かせながら、前進し、そして勝利してまいりたい。
研修期間中、信越の同志の皆さんには、大変にお世話になりました。心から御礼申し上げます。
結びに、「創価学会、万歳!」「わが偉大なる同志、万歳!」と申し上げて、記念のスピーチとします。皆さん、ありがとう! (大拍手)