2015年8月12日 投稿者:KS部OB 投稿日:2015年 8月12日(水)23時38分26秒 通報 【山梨最高協議会】(2006・9・3) 今、山梨をはじめ、全国、全世界で、使命深き新しいリーダーが、決意に燃えて立ち上がっている。 心から「頑張れ! 頑張れ!」とエールを送りたい。本当におめでとう!(大拍手) 広宣流布のために働ける、皆の幸福と勝利への指揮をとれるなんて、大変なことだ。すごいことである。 その功徳が、どれほど素晴らしいか。 たとえば、自分が目指した分野で「一番」になる。「日本一」「世界一」になっていく。誉れの名が永遠に輝く。それが妙法の大功徳なのである。 だれが見ていなくても、御本尊がすべてお見通しである。どうか「冥の照覧」を深く確信していただきたい。 たとえ取るに足らないように見える行動であっても、妙法のための行動は、将来必ず、現実の上で、勝利の花を咲かせ、福徳の実を結ぶ。 大事なのは行動だ。いくら幹部でも、でんと座ったままで、功徳が出るはずがない。 仏法の因果は厳しい。まして、広布に尽くす同志を苦しめる人間が、大罰を免れないことは、御聖訓に照らして当然である。 富士の山 師弟の前途は 勝利かな この一生 乗り越え勝ち越え 富士の山 晴れ晴れと、偉大なる山梨の輝く新出発、まことに、おめでとう!(大拍手) 皆さんの出陣を、ぜひ祝福したい。そう思って、今回、山梨を訪問させていただいた。 富士の天地で、富士を仰ぎ、富士と語りながら、富士のごとく生きる ── 山梨の友は、本当に幸福である。 なんと雄大な舞台であろうか。 戸田先生は、言われた。 「学会は、宗教界の王者である。いな、世界平和に戦う王者なのだ。 君たちよ、心を尽くして、立派に使命を果たすのだ。 断じて負けるな! 最高の王であり、最高の智慧者である富士を仰ぎながら、語りゆくのだ」 山梨の皆さんには、全国に、大いなる波動を起こしてもらいたい。 どうせ戦うならば、新しい挑戦を! そして、広布の突破口を開く〝一石〟を投じるのだ。 勇気の一波は、必ず、勝利の万波となろう。 他県には、「山梨は小さい」と思っている失礼な人もいるかもしれない(笑い)。そうした人たちを「あっ」と驚かせるような、新しい歴史を築いてもらいたい。 「どうだ!我らの躍進を見よ!」と堂々と胸を張って進んでいただきたいのだ。 山梨をはじめ、新出発したすべてのリーダーの皆さまに、万感の期待を込めて、記念の旬を贈りたい。 君もまた 公明正大 富士の山 この一生 乗り越え勝ち越え 富士の山 富士の山 共に見つめむ 同志かな 富士の山 師弟の前途は 勝利かな アメリカに新風を起こした、若きケネディ大統領の誕生のニュースを、私が聞いたのは、どこであったか。 山梨である。忘れもしない、1960年の秋、わが甲府支部が結成された折であった。 さらにまた、1985年、ゴルバチョフ氏が、ソ連の新書記長として登場した第一報も、山梨文化会館で受けた。 ちょうど、「ニュー山梨」のスタートの時であった。 ゴルバチョフ氏は、そこから冷戦終結への一歩を踏み出した。私の大切な親友でもある。 新しいリーダーが誕生し、世界に新時代を告げようとする ── その歴史的な出来事を、いずれも山梨の地で、耳にしたのである。 そして今、力ある人材が陸続と躍り出た山梨の広宣流布の新出発を、こうして見守ることができる。喜ばしい限りだ。 また、うれしいことに、山梨では、創価教育の出身者の活躍も光っている。 どこまでも、山梨は、人材で勝とう! 団結で勝とう! 師弟で勝とう! (大拍手) 憲政の父・尾崎咢堂といえば、牧口先生も注目された人物である。 山梨市の「万力公園」に、彼がしたためた碑がある。そこには「善悪の標準」として、こう刻まれている。 「自他の幸福をます事は善事 それをへらす事は悪事」(一部、現代表記に改めた) 全人類の平和と幸福の道を開きゆく広宣流布こそ、まさに「善事の中の善事」である。 広宣流布は、どうやって進むのか。戸田先生は指導された。 「一対一の折伏が、広宣流布達成の鉄則となる。これがまた、立派な民主主義のルールにかなった方程式ともいえるのだ。 地道にみえる進み方だが、最も堅実である。 この一波が二波になり、やがては千波、万波になっていって、初めて、広宣流布が達成されるのだ」 一軒また一軒、誠実に足を運ぶ。一人また一人、真剣に、粘り強く対話を重ねる。 婦人部をはじめとする、この最も地道にして崇高な仏道修行の繰り返しによって、今日の世界的な広宣流布は築かれた。 このことを、絶対に忘れてはならない。 御聖訓には「一切の仏法もまた、人によって広まる」(御書465ページ通解)と仰せである。 また、戸田先生は言われた。 「大聖人の説得力は、単なる説得力ではない。根本が慈悲から発している説得力である。だから偉大なのである。 我々には到底、そんなまねはできないが、辛抱強く戦って、理を尽くすことだ」 「勇気」が「慈悲」に通ずる。これも、先生の至言であった。 真実を語り、正義を叫び抜く。折伏の功徳は、限りなく大きい。 損得で言えば、自分が得をする。相手も得をする。 そして一家一族へ、社会へと、福運は幾重にも広がっていく。 きょうも、広宣流布のために動こう ── その心が、功徳を生む。 妙法のために行動しよう。広布の布石を打とう ── その一念が、わが生命を荘厳する。 対話の秋である。 にこやかな笑顔で、陽気に歌を口ずさむように、快活に進もう! 自他ともの幸福を広げる対話の波を、千波、万波と、広げていきたい(大拍手)。 創価の父・牧口先生は、歩く指導者であられた。行動する指導者であられた。 ご存じの通り、ここ山梨県にも、牧口先生は、社会貢献の足跡を留めておられる。 95年前(明治44年)、新緑の5月のことである。すでに『人生地理学』を著していた牧口先生は、農村調査の方法を研究し指導するために、道志村を訪問された。 〈39歳の時。郷土会の一員として民俗学者の柳田国男氏らと同行〉 今、山梨の友は、「平和への大道展」など、わが地域に共感の光を大きく広げておられる。 〈名誉会長の対話の軌跡を紹介する同展は、今月6日から11日まで甲府市の山交百貨店で開催され、反響を広げた〉 皆さんの様子を、牧口先生も、笑顔で見守られていることであろう。 ここで、牧口先生が座右の御書に傍線を引かれた御聖訓を拝したい。 「仏法を学ぶ人は、父母の恩、師匠の恩、国土・社会の恩を忘れてはならない」(同293ページ、通解) 「特別のことがなくても、人は一度は死ぬことが定まっている。したがって、卑怯な態度をとって、人に笑われてはなりません」(同1084ページ、通解) 「大果報の人を、他の敵は破ることができない。親しい者が破るのである」(同957ページ、通解) 「法華経を信じる人は、用心に用心を重ねて、法華経の敵に対して心を引き締めていきなさい」 「なにが仏道修行の敵であるかを知らなければ、敵にだまされてしまう」(同931ページ、通解) さらに牧口先生は、「大慢心の者は(いざという時に)敵に従う」(同287ページ、通解)との御文にしるしを付けておられる。御文の上の余白には「大慢 敵ニ したがふ」と書き込まれ、この教えを重視されている。 まさしく、近年、学会の大恩を踏みにじった大慢心の悪党は、邪宗門などに追従し、魂を売り渡した。その卑劣な姿は、皆さんがご存じの通りである。 青春時代、私が「戸田大学」で学んだ『十八史略』に、こんな逸話がある。 ── 中国古代の殷の時代、大旱魃が7年も続いた。とうとう、〝人間をいけにえとして雨乞いをするしかない〟という声があがった。 その時、国王の湯王は毅然として言った。 「雨乞いするのは人民のためなのだ。人を殺すわけにはいかぬ。もしどうしても人身御供(=いけにえとなる人)が必要だというなら、わたし自身が犠牲になろう」 そして、湯王は祈りを捧げつつ、自らが行ってきた政治が正しかったかどうか振り返る。 「わが政事が節度を失ってはいなかったか」 「人民を働こうにも働けなくしてはいなかったか」「讒言が幅をきかせてはいなかったか」 こうした反省をすると、激しい雨が降り始め、大地を潤した。 〈丸山松幸・西野広祥編『十八史略1』徳間書店を参照〉 これとは反対に、平然と、民衆を犠牲にして、保身と栄華に走る指導者のいかに多いことか。 わが身をなげうって、民衆のために! ここに指導者の重大な責務がある。真実の魂が光る。 創価の三代の会長を貫く誓願も同じだ。 尊く健気な仏子を護り抜くために、一切の法難を一身に受け切る。一人たりとも、犠牲にはしない。断じて幸福にするのだ。 この決心で、私は祈りに祈り、人知れず、あらゆる手を打ってきた。 リーダーは、自身に厳しく問うべきである。 謙虚に、皆に奉仕しているか。 礼儀正しいか。 威張ったり、傲慢になっていないか ── 。 自分では気づかない場合もある。皆、遠慮なく注意すべきである。 牧口先生は「いばって、信用をなくすのも、法を下げることになる」と叱咤された。 人間として立派であってこそ、皆が安心し、信頼を寄せてくれる。 とくに、戸田先生は、報恩の大切さを教えてくださった。 「恩に報いる心がけは、人間として、当然、持つべきである」「不知恩の人間だけには、断じてなってはならない」 「うぬぼれと非常識は皆から嫌われ、暗い人生の方向に追いやられてしまう」 厳しくも温かき先生の声が、今も耳朶から離れない。 大聖人は、ここ甲斐の国(山梨)の人々に思いを馳せながら、お隣の駿河の国(静岡の中央部)で勇敢に戦う門下に、最後まで信心を貫き通せと教えておられる。その際、こう仰せである。 「大魔がとりついた者たちは、一人を教訓して退転させたときは、それをきっかけにして、多くの人を攻め落とすのである」 「いいかげんな人が、信ずるような格好をしながら、おかしなことを言い出すと、そのほかの人の信心をも破ってしまうのである」(御書1539ページ、通解) 広宣流布の清浄無比なる和合僧を撹乱し、破壊せんとする輩は、絶対に許してはならない。これが、大聖人の厳命であられた。 中国の大文豪・魯迅は述べている。 「人間は、まちがった風説でも、聞きなれると、たわいもなく迷わされてしまう」(松枝茂夫訳「寡婦主義」、『魯迅選集』第5巻所収、岩波書店) だからこそ、真実は繰り返し、また繰り返し、語り続けなければならない。 牧口先生は、「仲間の大多数に平和な生活を得しめんが為にはあくまで悪人を排除しなければならぬ」と訴えられた。 邪悪と戦い抜くのは、正義を打ち立て、多くの人を守るためである。 勝利の人生、幸福な人生のために、何が大切か。 それは、日々、瞬間瞬間、生命力を満々とたたえていくことである。 そのカギこそ、信心である。真剣なる祈りである。 とくに、朗々たる声、すがすがしい声で、勤行・唱題を行いたい。 日蓮大聖人は、「南無妙法蓮華経は師子が吼えるようなものである」(御書1124ページ、通解)と仰せである。 弱々しい声ではいけない。師子が吼えるように力強く、そしてまた、白馬が駆けるように生き生きと、勤行・唱題を実践したい。 そして、魔を破り、無量無辺の仏力・法力を引き出しながら、勇んで行動に打って出たい。 若々しく! はつらつと! 我らは、堂々と、勢いよく前進しようではないか! (大拍手) 君の中に大いなる世界がある。 君自身に生きよ! 生命に満ちあふれた自然とともに生きよ! こうしたアメリカ・ルネサンスのみずみずしい魂こそ、病みゆく地球に必要だと私は思う。 哲人ソローとエマソンをめぐって、アメリカの二人の碩学と語り合った『美しき生命 地球と生きる』も、幸い、好評をいただいている。 〈池田名誉会長とアメリカ・ソロー協会のボスコ前会長、マイアソン前事務総長との語らい。毎日新聞社刊〉 エマソンは、「女性」について論じた文章で、社会が進歩するにつれて女性の地位と影響力が高まっていくことに触れている。 その中で、彼はこう洞察している。 「女性の新たな心の姿勢によって、時代は特徴づけられる」 まったく、その通りである。 創価の女性が、今、新しい時代の到来を、さっそうと告げている。 これほどうれしいことはない。 山梨も、婦人部・女子部が一体となって、素晴らしい模範の前進をされている。私は、妻とともに、心から讃えたい。 ますます、女子部を応援したい。 皆で、女子部を大事にしよう! 何度も繰り返すが、一番大切なのは女子部である。 一人の立派な女子部がいれば、地域にも、社会にも、さわやかな信頼の風が広がる。 仏法の対話をしても、相手がなかなか聞いてくれないことがある。 しかし、聡明な女子部が一人いるだけで、「あの人が信心しているなら、私もやってみよう」となることも多い。共感も理解も、急速に広がっていく。 人生は長い。広布の戦いも長い。 女子部が結婚した場合には、夫にも、夫の家族や親戚にも、そして子どもにも、しっかりと信心が伝わっていく。 女子部には無限の未来がある。 一番大きな友情の広場をつくっていけるのが、女子部である。 きょうも、女子部の代表が参加している。 尊い健気な女子部に、皆で賞讃の拍手を贈りたい(大拍手)。 〈ここで、女子部の代表が、「女子部の連帯を広げていきます!」と抱負を〉 素晴らしいことだ。 女子部が増えれば増えるほど、学会の未来は明るくなる。 女子部が減ってしまえば、学会の未来は暗くなる。 未来は、女子部で決まる。女子部が発展すれば、学会も栄え、伸びていく。 ここに、戸田先生も、いち早く注目しておられた。本当に、鋭い視点であられた。 私も、この一点を考えて、女子部に全魂を注いでいる。 女子部を、わが娘のように大切にしていきたい。 ある人が言っていた。 息子はかわいい。しかし、娘はもっとかわいい(笑い)。 そう思う親も多いのではないか。 その大事な娘が、題目をあげ、広宣流布のために戦っている。青春をかけて、皆の幸福のために尽くしている。 こんな尊いことはない。 一生懸命に頑張っている女子部には、「本当にありがとう。あとは私が引き受けます。ゆっくりしていいですよ」などと声をかけてあげられるような、温かい思いやりをもっていきたい。 いわんや、女子部を下に見たり、叱ったりするようなことは、決してあってはならない。 女子部を大事にする。尊敬する。この伝統を、まず山梨から築いていっていただきたい(大拍手)。 エマソンは、こう喝破している。 「宗閥(=宗教の派閥)の発達は、宗教の衰微を示すものである」(ブリス・ペリー編、富田彬訳『エマソンの日記』有信堂) 学会には、絶対に派閥をつくってはならない。仏法の根幹は、師弟である。師のもとに鉄の団結で進むのだ。 日蓮大聖人は厳しく戒めておられる。 「日蓮の弟子の中に異体異心の者があれば、それはたとえば、城の内部の者が城を破るようなものである」(御書1337ページ、通解) 「異体異心」 ── 心がバラバラでは、衰亡と敗北が待つだけである。 「異体同心」 ── ここに広宣流布を成し遂げる要諦があることを、忘れてはならない。 「人は石垣」「人は城」 ── 名将・武田信玄は、山梨を本拠地として、戦国の世に最強軍団をつくりあげた。 一切は人で決まる。広宣流布も人材で決まる。 新しい人材を見つけ、育て、結集する。ここに、恩師・戸田先生も勝負をかけておられた。 先生は山梨の地で青年を薫陶された。「水滸会」の野外研修である。 〈昭和30年6月11日から12日にかけて、河口湖畔・山中湖畔で開催〉 山梨は、緑が多い。空気もきれいだ。健康にもいい。東京などに住む人にとっては、うらやましい限りだ。 先生は、30年先、50年先の未来を悠然と展望し、山梨について、こう述べられた。 「この山紫水明の天地に、広宣流布の人材の城を築きたいな」 今や、戸田先生の願い通りに、山梨に人材の大城が築かれた。世界も見つめる、大いなる人材山脈が、そびえ立った。 先生の会心の笑みが、目に浮かぶようだ。 ここ山梨で万年の「令法久住」の流れを開かれた日蓮大聖人も、山梨を故郷とされる日興上人も、いかばかり、お喜びであろうか。 戸田先生は、青年に浩然の気を養わせながら、研修の機会をつくってくださった。永遠に忘れ得ぬ歴史である。 しかし、バンガローや旅館では、勤行・唱題も思うようにできない。 ゆえに戸田先生は、真剣な面持ちで語っておられた。 「将来、思う存分、信心と人生の鍛錬をする場所が必要である」 この恩師の願いを実現した、広宣流布の鍛錬の道場こそ、学会の研修道場であり、研修センターである。 この場をお借りして、「守る会」の皆さま、管理者である「礎会」の皆さま、一日会館長の「創価宝城会」の皆さまをはじめ、学会の会館・研修道場等を支えてくださっているすべての方々に、心から御礼申し上げたい(大拍手)。 「広布の城」を守ってくださる大福徳は、三世永遠に輝きわたる。 大勢の参加者のなかには、いろいろな人がいるだろう。苦労も多い。そうした人々とも忍耐強くかかわりながら、大きく包み込み、一切を支え守り抜いてこられた。その功績は計り知れない。 私たちは、広宣流布のための、尊い陰の行動に深く深く感謝したい。 戸田先生は常々、語っておられた。 「折伏をしている人、学会活動、組織活動をしている人。 この最も尊き同志を、最も尊敬し、最も感謝し、最も大切にしていきなさい」 広宣流布に戦う学会員を大切にすることは、妙法そのものを大切にすることと同じである。 そして、広布の宝城を守る人は、生々世々、大宮殿で暮らすような、自由自在の大境涯を開いていける。 それが妙法の力である。 「現当二世」の信心である。今世に積んだ功徳は、必ず来世にも流れ通っていく。 目に見えないがゆえに、信じることは難しい。しかし、これが、厳然たる妙法の法則なのである。 陰で戦ってくれた人のことを、私は永遠に忘れない。心から感謝しています。 いつも本当にありがとうございます!(大拍手) 戸田先生は、教えてくださった。 「人生に、苦しみというものはある。 苦しみがなければ、遊楽という楽しみを、しみじみと味わえないのである。そこが、よくわかると、生きていること自体が楽しくなる。 それが、信心の極意である」 さらに先生は、こう指導しておられた。 「いかなる組織や団体でも、大きくなれば、さまざまな問題や事故はあるものだ。これは必然である。 しかし、それらの問題を解決しながら、さらに大きく発展させていくのが、妙法の力であり、価値創造なのである」 苦しみを楽しみに。 困難を飛躍の力に。 その原動力が、信心である。学会活動である。 大変な戦いを乗り越えた分、宿命を転換できる。より大きな自分になれるのである。 「信心をしてきたおかげで、こんなにも健康になりました」 ── 。 私のもとには日々、こういう声が、大勢の方から寄せられる。何よりもうれしい。 戸田先生は、病気を抱えた同志に対して、こう励まされた。 「石につまずき、大地に倒れたら、大地に手をついて立ち上がるだろう。 同じように、病気という宿命を使命にかえ、信心で乗り越えていきなさい」 「人生に病気がなければおもしろくありません。法華経には、仏も病気になることが説かれています。天台大師が釈していうには、衆生は皆、病気をもっている。そこで、その衆生を救うには、仏自身も、病気をもっていないとつきあいにくいからです 法華経には、「願兼於業」(願、業を兼ぬ)の法理が説かれている。 菩薩は、人々を救うことを誓い、その誓いを果たすために、自ら願って悪世に生まれてくるというのである。 信心に生き抜く時、いかなる苦悩に直面しようと、「宿命」を「使命」に変えていける。 そして我らには、ともに戦う同志がいる。励ましがあり、希望がある。 生き生きとした生命と生命の触れ合い ── それが、どれほど、健康長寿の活力の源泉となっていることか。 学会こそ、最極の「常楽我浄」の安全地帯なのである。 私も、妻も、全同志のご健康、ご長寿を、毎日、真剣に祈っている。 「破邪顕正」こそ、日蓮大聖人の仏法の魂である。学会精神の柱である。 邪悪に染まっていった人間の本質とは何か。 大聖人は、明確に分析し、後世の戒めとされている。 「臆病で教えを心に刻まず、欲が深くて、疑い多い者どもは、漆の塗り物に水をかけて、空中に振って水が落ちるようなもの(教えたことが何にも残っていない)なのである」(御書1191ページ、通解) また、御聖訓には、こうも記されている。 「貪欲・瞋恚(=怒り)・愚癡(=愚か)という酒に酔っているから、臣下が主君に敵対し、子が親を軽んじ、弟子が師を侮ることが、めずらしくないのである」(同1090ページ、通解) 現代の世相を見ても、まさに、この通りだ。 なかんずく、心して注意すべきは、〝権力の毒酒〟である。〝権力の魔性〟である。 名聞名利に目が眩み、「何のため」という原点を忘れた権力者は、必ず自滅し転落していく。 大聖人は、厳愛をこめて仰せである。 「わが一門の中でも、信心を貫き通せない人々は、(初めから信じないよりも)かえって罪があるのです。(地獄に堕ちて、その時)日蓮をうらんではなりませんよ。 少輔房、能登房ら(退転した門下の末路)を、よくごらんなさい」(同1168ページ、通解) 広宣流布を破壊することは、全人類の幸福の道を閉ざすことである。これほどの罪はない。 反逆の徒への仏罰は、すべて仏法正義の明確なる実証である。後世への厳正なる教訓である。 「法華経の敵となった人を、今、生きている間に罰して、皆、人の見せしめにするようにと、梵天・帝釈、日月、四天に申しつけてある。日蓮が法華経の行者であるか否かは、これをもってご覧なさい」(同1138ページ、通解) こうした御聖訓を胸に、徹底して悪と戦い、善を広げゆく戦いを貫いているのが、わが学会なのである。 だからこそ、学会には功徳の花が爛漫と咲き薫っているのだ。 創価の平和・文化・教育の大行進に、世界の知性の府から最高峰の栄誉が贈られている。 私は、全同志の皆さまを代表して、お受けしている。こうした栄誉を、いつも、「戸田大学」を出た弟子として、わが恩師に捧げている。 同時に私は、深い祈りを込めて拝受している。 ともに戦う、わが同志の皆さまが、生々世々、世界へ雄飛し、最高の知性の舞台で活躍されるように! 大福徳を積んで、子孫末代まで大博士になっていかれるように! そして、いつも師弟一緒に、全世界の広宣流布のため、三世永遠に戦えるように! ── と(大拍手)。 1年また1年、いよいよ大前進し、1年また1年、ますます大発展する ── わが山梨の同志の雄々しき姿が、私は何よりもうれしい。 牧口先生は叫ばれた。 「真剣な青年の努力に勝るものはない」 また、「正々堂々正邪の論議を為すの勇気」が大事だと教えられた。 さらに、牧口先生は峻厳に言われた。 「大善をするだけの度胸もない小善者は、大した頼りにはならぬ」 わが山梨青年部は、全青年部の先頭に躍り出て、勇気ある師子吼を上げていただきたい。 古代ローマの大詩人ホラティウスは言った。 「訓練で隠された力が発揮されるのだ」(鈴木一郎訳『ホラティウス全集』玉川大学出版部) 青年部の皆さんは、喜び勇んで、広布の庭で訓練を受けていっていただきたい。そこにこそ、汝自身の秘められた力が、限りなく発揮されていくからだ。 全部、君たち自身のためである。 ともあれ、景気も回復の兆しが見え始めたとはいえ、現実は、まだまだ厳しい。仕事が大変ななか、なんとかやりくりして、活動に時間を割いておられる方も大勢いらっしゃる。 どれほど尊いことか。 大事な大事な皆さまに、記念の歌を贈りたい。 富士見ゆる 広宣城の 山梨は 不滅の歴史と 三世の功徳を 山梨の新出発、本当におめでとう! どうか、お会いできなかった皆さんにも、くれぐれもよろしくお伝えください。 お元気で! ありがとう!(大拍手) Tweet