2014年12月27日 投稿者:大仏のグリグリのとこ 投稿日:2014年12月27日(土)08時53分21秒 俗衆の一例をあげると、小説『新・人間革命(広宣譜二十六)』に 「支部長・婦人部長が、全支部員の皆さんと、 強い信頼の絆に結ばれていくならば、学会は磐石です。 最後は人と人との結びつきです。・・・・ 支部長・婦人部長が、支部の皆さんから、友人たちから、 『あなたのことは信頼できる ! 私はあなたを信じる』と言われるようになれば、すべて磐石です。 つまり、自分のなかに創価学会がある。 自分への信頼の輪が、広宣流布の広がりであるとの確信に立ってください・・・・ また『共に築かん』とは、同志の団結です。 どこよりも仲良く、楽しく、団結を誇る支部にしてください(抜粋)」との指導があります。 権威的な支部長は、この「同志の団結」だけを強調し、 本人は会員に信頼されていないのにそれを改めようとはしない。 そのくせ権威的な組織運営の在り方を注意されると 「団結を乱す者」としてレッテルを張り、組織の意向に従わせようとする。 これらは師匠の指導を利用し権威を利用した典型です。 これは実際に、私が見聞きした事実です。 そもそもこの指導の主旨は 「同志の団結」の要諦は、支部幹部と会員の強い信頼関係の構築が大前提です。 会員が支部幹部に対して、全幅の信頼を寄せているという人と人との絆が絶対条件です。 この条件が成立して始めて支部の「同志の団結」が生まれ、 団結を誇れる支部が構築され、学会が磐石になるのです。 わかっていない幹部に、そのことを強く責め、指摘するや、たちまち俗衆たちは怒り出し 「支部の団結を乱すな」「支部長に謝れ、何様のつもりだ」「文句ばかり言うな」等と 無智な幹部や会員は、言論の暴力を加えて厄介者扱いしてきます。 ひと口に「言論の暴力」といいますが、悪口罵詈は、一回や二回なら耐えられます。 しかし、大勢の人々から絶えず悪口罵詈されたとしたら、その圧迫は相当なものです。 これは直接、被害を受けた人でなければ、わからないと思います。 しかし、それでもその圧迫を跳ね返し、 悠然と会員を包容しながら戦っていく闘士が、真正の弟子なのだと思います。 Tweet